九穴のアワビ(鮑)
アワビやトコブシの貝殻に開いている穴は4個から8個ぐらいあって、穴の下に、鰓(えら)、生殖器、肛門などがある。
貝殻の穴は呼吸用、生殖用、排泄用に使われている。
貝殻が成長に伴って大きくなると、新しい穴ができるので古い穴は塞がっていく。開いている穴はアワビで4~5個、トコブシで6~8個で個体によって違う。
貝殻の大きさはエゾアワビが長径10cmほど、クロアワビが15cmほど、メガイアワビが20cmほどの楕円形をしている。

二枚貝は貝殻を少し開けて呼吸をするが、アワビなどの一枚貝は貝殻に小さな穴が開いているので岩にぴったりと張り付いたままで呼吸ができる。
熊野の那智山に籠り、修行をしていた花山法皇(かざんほうおう、65代花山天皇、968年-1008年)に龍神が現れ、如意宝珠・水晶念珠・九穴(くけつ)のアワビを献上したと云う。
九穴のアワビを食した者は不老長寿となり、滝の水を飲んだ者は延齢(延命)を得ると云われた。
天穂日命(西暦160年頃出生)の御子神で出雲国造(いずものくにのみやつこ)などの祖である武日照命(たけひなてるのみこと、西暦180年頃出生)は、別称に武夷鳥命(たけひなとりのみこと)・天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)などがあるが、出雲大社の祭祀を担うために天から持ってきた神宝を出雲大社に収めたと云う。
日本書紀によると、10代崇神天皇(すじんてんのう、251年-301年)が出雲大社の神宝を見たいと云った。
崇神天皇は、物部氏の武諸隅(たけもろすみ)を出雲に派遣したが、神宝を管理している出雲振根(いずもふるね)が筑紫国に行っていたので、弟の飯入根(いいいりね)が皇命を承り、神宝を奉った。
筑紫から帰ってきた出雲振根は、神宝を朝廷に差し出したと聞いて恨みと怒りが収まらずに、弟を斬殺してしまった。神宝を献上する行為は、服属することを意味するからである。
それを聞いた朝廷は、吉備津彦(西海将軍)と武渟河別(たけぬなかわわけ、東海将軍)を遣わせて出雲振根を殺させたとある。
崇神天皇は、「従わない者があれば、兵をもって討て」と云う基本姿勢で支配体制を確立していった。
神宝とは別に、出雲大社の本殿に祀られている「ご神体」は、天皇でも宮司でも誰も見ることはできないので、82代宮司の千家尊統(せんげたかむね、1885年-1968年)は、ご神体は御衾で丁寧にくるまれ中身は伺い知れないと言っている。
それでも見た人が一人いると云う。それは、寛永15年(1638年)に松江藩主となった松平直政(1601年-1666年)で、出雲大社宮司にご神体を見せよと言ったが断わられたので、強引に本殿に押し入った。
松平直政がご神体を確認すると、大きさ十尋(とひろ、15m)の「九穴のアワビ」だった。九穴から蛇が9匹出てきたので、松平直政は仰天して本殿から逃げ去ったと云う。
長さが十尋(15m)と云うのは恐らく間違いで、十束(とつか、75cm)ではないか。それでも大きくて本物のアワビではなく人工物だと考えられる。
出雲大社のご神体については謎で、多くの噂があるが、どれもオーバーな表現になっている。
朝日が昇る伊勢神宮のご神体は八咫鏡なので、夕日が沈む出雲大社のご神体も銅鏡かもしれない。
神宝を朝廷に奪われた出雲大社は祭祀をしなくなったと云うので、崇神天皇が銅鏡を祀らせたと云う。
或いは銅鐸、銅剣でしょうか。銅鐸ならアワビと似ていなくもないが・・・
印南神吉

