日月神示(ひつきしんじ)
日月神示(ひつきしんじ)を自動書記した岡本天明(おかもとてんめい、1897年‐1963年)は岡山県浅口郡玉島町(現・倉敷市玉島)の出身で、本名が岡本信之、雅号が天明。
岡本天明は子どもの頃から霊能力があったと云われ、明治大学を卒業、京都府綾部市の出口なお(1837年‐1918年)が1892年に興した「大本(教)」の影響を強く受ける。
東京都渋谷区千駄ヶ谷(せんだがや)の鳩森八幡神社の神主が、戦時中に兵役のため不在だったので、岡本天明が代理で神主を務めていた。
昭和19年(1944年)4月に東京原宿で、「天ひつくの神」が岡本天明ら霊能者に降霊したと云う。
千葉県成田市台方(だいかた)の麻賀多神社(まかたじんじゃ)の本殿右手奥に摂社の「天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)」があると聞き、天明は1944年6月10日に麻賀多神社を参詣、社務所で休憩していたところ、「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」からの神示を受け、それを筆と画仙紙で「自動書記」により記録した。
自動書記(Automatic writing)とは「神がかり」、「お筆先」とも云い、霊能者などが神霊により自動作用で文章や絵を書いたり、語ったりすること。
憑依(ひょうい)の一種だと考えられ、古代では卑弥呼(天照大神)、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、神功皇后などが憑依して神託を伝えた。
岡本天明には、その後も昭和36年(1961年)まで数度の神示が降り、自動書記で記録したが、その内容は通常の文章ではなく数字・記号・絵などで記されており、天明にも意味が全く分からなかった。
1949年に天明の妻・佳代子が死去、1950年に高木多恵子(三典、みのり)と再婚。
8通りに読めると記された難解な神示は、天明の霊能者仲間(鳩森八幡神社の法元氏、大本の矢野氏)が解読を進め、天明の妻・岡本三典(みのり、1917年‐2009年)も解読を進め、当初は「ひふみ神示」又は、「一二三神示」と名付けられた。
岡本天明が自動書記した神示を妻の岡本三典が解読し、「原典日月神示」(新日本研究所)を1976年に出版、1991年に神示の第二訳私解を発表している。
中矢伸一氏(1961年生)や黒川柚月(ゆつき)氏(1969年生)が日月神示に関する多くの書籍を出し、世間に広まった。YouTubeも出ている。
日月神示の書き出しは、
「富士は晴れたり、日本晴れ。 神の国のマコトの神の力を現す世となれる。」で始まり、全50巻の内、39巻が発表されている。
「日本が味わった苦難を上回る災害が世界を襲うが、その時は日本が世界を助けよ。」、
「価値観を変えて霊的な感性を取り戻せ。」、
「身魂を磨け。」、
「死後に於いても現実界に自分がある。生きている時も半分は霊界で生活している。」、
「祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分である。兄弟姉妹は横の自分。」、
「動物、植物、鉱物は外の自分で切り離すことはできない。」、
「神に怒りはない。天変地異を神の怒りと取り違えてはいけない。神は愛、真、善、美、数、
喜びにまします。怒りはない。」、
「艮(うしとら)の金神である国常立尊が救いの手を差し伸べてくれる。」、
などと多くの神示が記されている。
私は「記紀」、「神道」、「神社伝承」、「地域伝承」、「新約聖書」、「旧約聖書」などを土台として考えているので、日月神示が偽書だと云う先入観で読み始めたが、時代背景や本質を鋭く突いている部分が多く、黙示録もあり、内容を良く理解できたのではないかなと思う。
私には大いに参考になった。
「ひふみ神示」のサイトを読みました。
「日月神示普及委員会」もあります。
印南神吉

