播磨(はりま)の安積氏(あづみうじ)
九州博多の安曇氏は、西暦185年頃の饒速日東遷に従って「天造日女命(あまのつくりひめのみこと)」が一族を率いて大和にやって来た。
天造日女命は綿積神(わたつみのかみ)の後裔で阿曇連(あづみのむらじ)の祖になっている。
安曇氏の発祥の地は、筑前国糟屋郡志珂郷から阿曇郷で、大和に移ってからは摂津国を拠点とした。
「穂己都久命」をご参照ください。
播磨国風土記には、36代孝徳天皇(596年‐654年)の頃に阿曇百足(あずみのももたり)が摂津国難波の浦上(うらかみ)を拠点にしたとある。
肥前国風土記には阿曇連百足が12代景行天皇(281年‐340年)に仕えたとあり、時代が違うので同名の別人か。
後の平安後期に安積氏は播磨国揖保郡(いぼぐん)浦上郷(現・たつの市)に移った。
安曇氏は全国にも広く移住していった。
播磨国宍粟郡(しそうぐん、しさわぐん)を拠点とした安積氏は、鉱山開発、林業開発、陸上運輸、河川運輸、海上運輸などを管理統括していた。
兵庫県には鉱山が多いが、安積氏が拠点とした宍粟郡一宮町にも赤金鉱山(あかがねこうざん、昭和10年休山)、富士野銅山、高野鉱山(昭和33年閉山)、大身谷鉱山(おおみだにこうざん、1985年閉山)、三方鉱山(みかたこうざん、閉山)、倉床鉱山(昭和元年休山)、三扇鉱山、藤居鉱山(明延鉱山に吸収)、大路鉱山、繁盛鉱山その他多くの鉱山や蹈鞴製鉄所があり、繁栄していた。
播磨国一宮は兵庫県宍粟市一宮町須行名(すぎょうめ)407に鎮座の伊和神社(いわじんじゃ)になっている。
祭神は播磨国開拓の祖神である大己貴神(おおなむちのかみ、大国主神)。



安積盛氏が1333年頃に瑞泉寺山城を築いた。麓に安積八幡神社が鎮座。
安積盛氏—安積盛兼—安積監物行秀(盛行)
嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で赤松満祐(1381年‐1441年)が将軍足利義教(1394年‐1441年)を殺害した時、首を挙げたのは播磨国御家人の安積監物(けんもつ)行秀であった。
天正8年(1580年)、豊臣秀吉(1537年‐1598年)の長水山城(山崎町)攻めの時、安積氏は置塩城赤松則房(1559年‐1598年)に従い秀吉軍側として戦った。
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参議院選挙が終わった。
今後、時代が大きく変わるきっかけになるでしょう。次の衆議院選挙で更に見通しがはっきりしてくるでしょう。
日本は「祈り、調和、共鳴」の国、日本人の目覚めた集合意識が世界を前進させるでしょう。
圧倒的な武力を誇るアメリカ、独裁国家のロシアと中国。
それに対して日本とEUが接近してきた。
日本が静かに、いつの間にか世界の中心になる兆しが見える。
John Lennon 「LOVE&PEACE」、「War Is Over!」
印南神吉(いんなみ かんき)

