御倉板挙神(みくらたなのかみ)
古事記によると、
伊弉諾命(いざなぎのみこと、125年頃‐190年頃)が、頸のネックレスを外して玉の触れ合う音を聞かせ、天照大神に与えた。
そして、あなたは天上界を統治しなさいと云われた。
このネックレス(首飾り)は、美しい高貴な宝石の翡翠(ひすい)製の勾玉であったと考えられる。
瓊(に)とも云うが、保管される場所に因んで「御倉板挙神(みくらたなのかみ)」として宮殿の棚に保管されていた。
この宝石は翡翠(ひすい)が主で、緑の碧玉(へきぎょく)、瑪瑙(めのう)、水晶などもあり、縄文時代から製造されてきた。
勾玉

天照大神と素盞嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)が天安河(あめのやすかわ)で誓約(うけい)をした時に、素盞嗚尊が天照大神の「八尺瓊五百箇御統(やさかにのいおつのみすまる)」を要求したが、これが伊弉諾命(いざなぎのみこと)から受けた「御倉板挙神(みくらたなのかみ)」であったかもしれない。
天照大神は、天孫降臨の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を授けているが、これが伊弉諾命から受けた「御倉板挙神」であったかもしれない。
三種の神器は、
八咫鏡(やたのかがみ)が天照大神、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が月読尊(つくよみにみこと)を象徴するとも云う。
初代神武天皇(181年‐248年)が西暦204年に東征を開始、211年に大和国橿原で即位したが、「御倉板挙神」を授かったという記録がない。
しかし神武天皇より先の西暦185年頃に大和国に東遷した饒速日命(にぎはやひのみこと、165年頃‐225年頃)は十種神宝(とくさのかんだから)を授かってやってきたので、「御倉板挙神」も授かっていたかもしれない。
それであれば饒速日命は神武天皇に「御倉板挙神」を献上したと考えられる。
三種の神器は寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで81代安徳天皇(1178年‐1185年)と共に入水して沈んだが、回収されたと云う。
伊弉諾命が天照大神に国家統率の証として授けた「御倉板挙神(みくらたなのかみ)」は1850年以上も経過しているが、紛失したり造り直していなければ現在も皇室に安置されていることになるが・・・
何度か造り直しているかもしれない・・・
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印南神吉(いんなみ かんき)

