伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ、吹田市)
大阪府吹田市山田東2丁目3-1 電06-6877-5921 無料駐車場あります。
摂津国島下郡(しましもぐん)の延喜式内社、千里丘陵近くの高庭山に鎮座。
俗称は五社宮、姫宮で、地域の産土大神。
祭神 伊射奈美之命(いざなみのみこと)、結婚・安産・厄除。
相殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、学業成就・開運厄除、
天手力男命(あめのたじからおのみこと)、スポーツ・開運、
天忍熊根命(あめのおしくまねのみこと)、雨乞い・雨止め、
蛭子命(ひるこのみこと)、豊漁・豊穣・商売繁盛。
祭神の天忍熊根命の別名は天押雲根命(天児屋根命の御子)で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従って天降った。
雄略天皇23年(5世紀後半)に、伊勢神宮の斎王である倭姫命(稚足姫の間違いか?)の示教により、岡本豊足彦(大佐々之命)が五柱の皇大神を奉祀する霊地を当地(吹田)の山田川のほとりに定め「姫神社」とし、初代神主となった。
「姫神社」としたのは、吹田市佐井寺1丁目の「伊射奈岐神社」の祭神が伊射奈岐命、八幡大神、素戔嗚大神だからと云う。
姫神社(姫宮)の鎮座地は、当社の1km南東の吹田市山田市場に鎮座の大神木神社(だいしんぼくじんじゃ)であったと考えられる。
現在の祭神は大神木大神で、名神高速道路の下に小さな祠で祀られている。
雄略天皇23年の創建で、神勅により丹波国の比沼真名井に坐す(います)豊受大神を伊勢国渡会(わたらい)の山田ヶ原へ遷すことになり、その途中の当地で仮宮として1年間鎮座した。
当社は豊受大神宮(外宮)の仮宮であったと云う。
大神木神社地図
岡本豊足彦(大佐々之命)は、高槻市岡本町の白山神社(しらやまじんじゃ)に白山姫神と共に祀られている。
姫神社は仁寿2年(852年)に、当社の現在地高庭山に遷座した。
貞観年間(9世紀後半)に佐井寺の伊射奈岐神社から伊邪那美神が当社に遷座し、貞観15年(873年)に「姫神社」から「五社宮」と改称した。
佐井寺の伊射奈岐神社の社伝とは整合しない部分がある。
当社は明治3年に「五社宮」から「伊射奈岐神社」に改称した。
千里丘が「伊勢山田」の地名に因み「山田ヶ原」と呼ばれ、周辺地名が「山田」、川が「山田川」と呼ばれた。
祭神は時代・支配者・氏子などにより変更されることがある。
当地が藤原氏の荘園になった関係で春日神社の祭神が相殿に祀られた可能性がある。
「豊受大神」の遷座については諸説あるが、
豊受大神は宮津市の丹後国一宮である元伊勢「籠神社(このじんじゃ)」の奥宮「眞名井神社」に祀られていた。
「眞名井神社」から丹後国丹波郡比治里の真奈井原(京丹後市峰山町久次、ひさつぎ)の「比沼麻奈為神社、ひぬまないじんじゃ)」に豊受大神(天女神)として遷座した。
更に、丹後国与謝郡の「豊受大神社(福知山市大江町)」に遷座した。
そして、伊勢国度会(わたらい)の山田原へ遷座、外宮の「止由氣大神(豊受大神)」となった。
籠神社と同様に、渡会神道でも豊受大神を天之御中主神、国常立神と同一としている。
豊受大神を丹波から伊勢へ遷す貢献をした大佐々之命は二所大神宮(伊勢の内宮と外宮)の大神主(おおかんぬし)に任命された。
両部額の掛かる大鳥居と社号標。令和元年に建造。
参道は山田川にかかる赤い大宮橋を渡る。


嘉永7年(1854年)造立の花崗岩製の明神鳥居が平成30年の大阪北部地震で
被害を受けたので後方に移築保存している。

参道

狛犬が面白い。中国遼東半島の大連にある金州城の屋根飾りを参考にしている。

参道右手に稲荷神社(重守大明神)と弁財天(市杵島比売命)。

稲荷神社(重守大明神)。


弁財天(市杵島比売命)。

社務所

拝殿、
社殿は「夏至の日の出方向(北東)」を向いている。


拝殿右に参集殿、庭園。

本殿、大阪府指定文化財。
江戸中期に建築、五間社流れ造り檜皮葺き。


拝殿左に御祓所。
祭神は右から祓戸大神(はらえどのおおかみ)、八王子社(八王子神)、八幡宮(応神天皇)、
天満宮(菅原道真公)。

神輿庫。

印南神吉(いんなみ かんき)

