垂水神社(たるみじんじゃ、吹田市)
大阪府吹田市垂水町1丁目24-6 電06-6384-1526 無料駐車場あります。
延喜式内名神大社。
祭神 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと、10代崇神天皇第一皇子)、
相殿 大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命)、
少彦名命(すくなひこなのみこと)。
祭神の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、10代崇神天皇(251年-301年)の第一皇子で、四道将軍として当地から東国に向かい、東国の毛野国(けぬのくに、けののくに、群馬県・栃木県)を治め、毛野氏の始祖となった。
毛野国は、上毛野国(かみつけぬのくに、群馬県)・後に上野国(こうずけのくに)と、下毛野国(しもつけぬのくに、栃木県)・後に下野国(しもつけのくに)に分かれ、毛野氏も上毛野国造の上毛野氏(かみつけぬうじ)と下毛野国造の下毛野氏(しもつけぬうじ)となった。
上毛野氏は蝦夷征伐や朝鮮外交に関わった。
上毛野氏は豊城入彦命を氏神として群馬県前橋市の「赤城神社」(上野国二宮)に祀った。豊城入彦命が大己貴命を祀ったのが始まりで、赤城山(1,828m)を神体山とする。論社は三社ある。
赤城山は上州の侠客国定忠治(くにさだちゅうじ、1810年‐1851年)の台詞「赤城の山も今宵限り」で全国的に有名になった。
船舶名では、軍艦と空母の「赤城」、海上保安庁巡視船の「あかぎ」がある。
豊城入彦命の母は遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ)で、紀伊国造の荒河戸畔(あらかわとべ)の娘であった。
10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は豊城入彦命の妹で、11代垂仁天皇(265年‐310年)は豊城入彦命の異母弟である。
7世紀半ば、豊城入彦命の子孫の阿利真公(ありまのきみ)が当地吹田の領主であったが、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に当地から水を送ったので36代孝徳天皇から「垂水公(たるみのきみ)」の姓を賜り、垂水神社を創始し初代宮司となる。
病死した豊城入彦命の御陵は群馬県高崎市の郷見神社(さとみじんじゃ)の裏山古墳と云われている。しかし崇神天皇が悲しみ、傍に埋葬したいと考えて桜井市三輪の「ホケノ山古墳」に埋葬したのではないか。
ホケノ山古墳は豊城入彦命の妹・豊鍬入姫命の陵墓と云う説もあるが、ホケノ山の「ケノ」は豊城入彦命が治めた「毛野(けの)」ではないのか・・・
豊城入彦命は崇神天皇崩御(301年)より前に亡くなっているので、295年から300年頃でしょう。
ホケノ山古墳の築造年は3世紀半ばとされているので年代が合わないが、築造年は300年頃と云う説もある。
一の鳥居と社号標。

参道

社号標と注連柱。

社務所


ご神木の大楠(樹齢400年、幹回り4.5m)。


祭祀庫。

二の鳥居。


拝殿、昭和49年造営、銅板葺き。


本殿、昭和49年造営、銅板葺き流れ造り。

社殿右の境内社、昭和60年建て替え。
右から戎社(稲生社)、祭神は金山比古命、金山比売命、豊宇氣姫命、事代主命、
祓戸社(息吹戸主命、瀬織津比売命、速明津比売命、速佐須良比売命)、
皇太社(伊佐那岐命、伊佐那美命、天照大神)。

玉之井の井戸。

社殿左に垂水の瀧(小瀧)。

右は楠明神社(大綿津見命、市杵島姫命)、(吉久大明神・金龍大神・銀龍大神)。
左は大神社(おおみわしゃ)で奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)から勧請した三輪社
(大物主大神)。

津くよみの池。

垂水の滝(本瀧)。


白菊大明神・不動明王・光長大明神。

高登社(神心講)。


垂水不動(不動明王)の入口。
不動社祭の護摩焚き神事が行われる。

政高社(政高大明神)、長患い除けの神。

垂水不動社。

自民党の高市早苗総裁と日本維新の会の吉村洋文代表・藤田文武共同代表が連立政権に合意しました。
閣外協力とし、維新の会からの大臣就任は相互の信頼感が確定してからになります。遠藤敬国対委員長が首相補佐官に任命されるだけです。
高市さんと吉村さんの素早い行動には感心しました。それに比べ、国民民主党の玉木さんの優柔不断振りにはがっかりしました。
前途多難の政権になりますが、応援していきます。
印南神吉(いんなみ かんき)

