天照国照彦天火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)
天火明命(あめのほあかりのみこと、140年頃生)は海人族の祖で、子孫に海部氏(あまべ)、尾張氏(おわり)、度会氏(わたらい)、津守氏(つもり)などがいる。
天火明命を祀る神社は、福岡県久留米市大石町の伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)、京都府宮津市の元伊勢・籠神社(このじんじゃ)、愛知県一宮市真清田の真清田神社(ますみだじんじゃ)、兵庫県たつの市の粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)などがある。

天香語山が185年頃の「饒速日東遷」に従い大和国に移動。葛城高尾張から尾張国(愛知県、熱田神宮)に移動、高志国(新潟県、弥彦神社)にまで移動した。
天香語山の子である天村雲命も饒速日東遷で大和国に移動、更に伊勢国に移動して度会氏(わたらい)となり、伊勢神宮外宮の神官になる。
津守氏は摂津国(大阪府、住吉大社)で活躍、神功皇后(321年‐389年)と連携した。
天火明命は豊後国海部郡(大分県、宇佐神宮)から丹後国(京都府、籠神社)に移動した。
子孫の海部氏(あまべ)は丹波国造となる。
記紀や先代旧事本紀によると、天火明命の父は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、母は万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)、兄弟が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)になっているが、古代の系図は間違いが多い。
また、天火明命と饒速日命(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、160年頃生)が同一とも云うが、天皇家・尾張氏・海部氏と、饒速日命を祖とする物部氏は倭国(北部九州)で関係が深かったが、大和国で初代神武天皇(181年‐248年)の即位(211年)以降に姻戚関係になった。
10代崇神天皇(251年‐301年)は物部氏を取り込んで全国制覇を進めた。
物部氏は天皇家・海人族との結託・姻戚を強調するために饒速日命と天火明命を一柱の神に習合し、諡号を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」として共通の祖とした。
播磨国風土記では、天火明命(140年頃生)は大汝命(大国主命、160年頃-220年頃)の子で、お互い仲が悪かったと云うが、年代が合わない。
「大国主命」や「天火明命」は個別名ではなく役職名で、何代も引き継がれてきたので、天火明命よりも年長の大国主命は存在したと考えられる。
更に、海部氏(天火明命)、宗像氏(大国主命)、安曇氏(豊玉彦・穂高見命)は同じ出雲神族の間柄で、婚姻関係もあった。
播磨国は出雲国・伯耆国と関係が深く、大国主系も海部氏系も身近な存在であった。
風土記の内容によると、播磨国では両者の仲が良くなかったのかもしれない。
「新撰姓氏録」によると、尾張宿禰、尾張連、伊福部宿禰、但馬海直などは「天孫 火明命の後也」と記されている。
同じ海人族の安曇宿禰、安曇連は「地祇 豊玉彦の後也」と記され、天孫ではない。
素盞嗚尊、大国主命、事代主命の子孫も天孫ではないが、大国主命の養子となり出雲大社の神官となった天穂日命(天照大神の次男)の子孫である出雲臣、土師宿禰などは天孫になっている。
大和豪族の拠点

印南神吉(いんなみ かんき)

