壱岐島最古の神社
月讀神社(つきよみじんじゃ)
長崎県壱岐市芦辺町(あしべちょう)国分(こくぶ)東触(ひがしふれ)464
壱岐で最古の神社で月読神社の総本社。
当社では「日本最古の神社」、「古神道発祥の地」と謳っている。
祭神は、中央に月夜見命(つきよみのみこと)、夜を司る神、月の神。
右に月読命(つくよみのみこと)、左に月弓命(つくよみのみこと)。
海人族の壱岐氏が航海安全を祈願して祀った三柱の神。

鳥居は「肥前鳥居」に似ている。
壱岐国は文明4年(1472年)に肥前城主波多氏の領有となった。当時から続く「壱岐神楽」が昭和62年に国の重要無形文化財になっている。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が「黄泉の国」から帰還して「筑紫の日向の川の落ち口の橘の檍原(あわきはら)」で禊祓いをした。
その時に生まれた住吉三神、綿津見三神の次に、伊弉諾尊が左の眼を洗うと「天照大神」が生まれ、右の眼を洗うと「月讀尊」が生まれ、鼻を洗うと「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」が生まれた。
この三柱の神を「三貴子」と云う。
月讀尊は、保食神(うけもちのかみ)が料理した食事に怒り、保食神を殺してしまった。
これに怒った天照大神が月讀神を追い出して、昼(天照大神)と夜(月讀神)に分かれてしまった。
壱岐氏は、新撰姓氏録を見ると「右京 神別 壱伎直 天児屋根九世孫雷大臣之後也」とある。
雷大臣(いかつおおおみ)の別名は中臣烏賊津(なかとみのいかつ)で、14代仲哀天皇(320年‐362年)と神功皇后(321年‐389年)に仕え、363年の新羅遠征に従軍した。
新羅から帰還後、雷大臣は津島県主となり邸宅を構えた場所が雷神社(いかつちじんじゃ、対馬市厳原町豆酘)になっており雷大臣を祀っている。
雷大臣は当地で祭祀や亀ト(きぼく)を広めた。壱岐の亀トは縄文時代から始まり現在でも伝承されており、国選択無形民俗文化財になっている。
対馬市美津島町加志太の太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ、祭神は太祝詞神と雷大臣命)に雷大臣の墓と伝わる壇がある。太祝詞神は天児屋根命の別名。
当社も雷大臣の邸宅跡と云う伝承がある。
雷大臣の墓

23代顕宗天皇の3年(487年)に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が命を受け、任那に使いした。
この時「月の神」が現れ、「我が祖の高皇産霊尊は天地を創造した。その子孫の吾(月の神)を祀れ、そうすれば慶福が得られるだろう」と告げたので都に帰って天皇に報告すると、山城国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)を奉られた。
壱岐の県主の祖・押見宿禰(おしみのすくね)がそこに「壱岐の月神」お祀りした。これが京都の月読神社である。
話は変わりますが、日本語は宇宙語に近いようです。
瞑想して宇宙と繋がり宇宙からのエネルギーを受け取ると、次元上昇(アセンション)する。
そうすると日本中に「覚醒」が起き、世界に拡がっていく。
魂・礼儀・調和を大事にする日本は世界の中心になっている。
印南神吉(いんなみ かんき)

