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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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マグダラのマリア

「マグダラのマリア(MaryMagdalene)」は新約聖書の福音書に登場し、「罪深き者」であったがイエス・キリストに救われ悔い改めて信徒になった。

キリストの母マリア(聖母マリア)と同じ名だったので特に注目されたかもしれない。

イエスが十字架で亡くなった後、聖母マリアはアナトリア(トルコ)で暮らし、「聖母マリアの家」が残っている。

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「マグダラのマリア」はイエスから愛され、弟子としてよく働いた。キリストが十字架に掛けられた時に見守り、キリストが納められた場所を見とどけた。

3日後に「マグダラのマリア」は墓を訪れ、イエスの遺体に香油を塗ろうとしたが、遺体がなくなっていた。

キリストが復活した(蘇った)のだ。復活後最初に「マグダラのマリア」がイエスに出会った。

「マグダラのマリア」はキリスト復活の証人として使徒たちの所に行き、キリストが復活し天国に昇ることを伝えた。


「マグダラのマリア」は、キリスト信者を迫害する動きを避けるため、他の二人のマリア(マリア・ヤコベとマリア・サロメ)たちと小舟に乗って南フランスに逃れた。

マリアたちはサント・マリー・ド・ラ・メールでキリストの伝道をしていたが、晩年の「マグダラのマリア」はサント・ボームの洞窟(grotto of Sainte-Baume)で過ごしたと云う。

現在の洞窟は教会になっており、祭壇・マグダラのマリア像・遺物などがある。巡礼者や観光客らが訪れている。

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「マグダラのマリア」は洞窟の上のサン・ピロン山(944m)に登り祈ったと云う。今は山頂に小さなチャペルがある。



フランスでは「マグダラのマリア」を「マドレーヌ」と呼んでいる。

マドレーヌと云う名の寺院は多いが、ヴェズレーにあるサント・マドレーヌ大聖堂が有名で巡礼者が多い。マドレーヌの遺骨の一部が安置されており、信仰の対象になっている。

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聖書として認められていないが、「マリアによる福音書」と云う外典があり、「マグダラのマリア」は預言者としてキリストの伝道活動を行った。

マリアによる福音書は3世紀に存在していたが、現在は部分的な写本だけが残っている。パピルスにコプト語(古代エジプト語)で記されており、ギリシャ語の原書から翻訳されたと考えられている。

ナグ・マハディ写本やベルリン写本などが存在するが欠損部が多いので、文章は長くない。


ロシアの文豪・ドストエフスキー(1821年‐1881年)は「マグダラのマリア」を強く意識し、「罪と罰」を1866年に書いた。

ドストエフスキーの母の名前もマリアで、最初の妻の名前もマリアあった。

私は大学生の時(1962年)に「罪と罰」を読んでみたが非常に難解であった。

日本の多くの文学者、映画監督、漫画家などがドストエフスキーの影響を受けている。

***

来年の2026年は日本の政治、経済、社会が大きく変化、前進し、世界も大きく変わっていくでしょう。

一人一人の国民の意識が集合すれば、社会全体が前進します。


印南神吉(いんなみ かんき)


by enki-eden | 2025-12-28 11:16