マグダラのマリア
「マグダラのマリア(MaryMagdalene)」は新約聖書の福音書に登場し、「罪深き者」であったがイエス・キリストに救われ悔い改めて信徒になった。
キリストの母マリア(聖母マリア)と同じ名だったので特に注目されたかもしれない。
イエスが十字架で亡くなった後、聖母マリアはアナトリア(トルコ)で暮らし、「聖母マリアの家」が残っている。
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「マグダラのマリア」はイエスから愛され、弟子としてよく働いた。キリストが十字架に掛けられた時に見守り、キリストが納められた場所を見とどけた。
3日後に「マグダラのマリア」は墓を訪れ、イエスの遺体に香油を塗ろうとしたが、遺体がなくなっていた。
キリストが復活した(蘇った)のだ。復活後最初に「マグダラのマリア」がイエスに出会った。
「マグダラのマリア」はキリスト復活の証人として使徒たちの所に行き、キリストが復活し天国に昇ることを伝えた。
「マグダラのマリア」は、キリスト信者を迫害する動きを避けるため、他の二人のマリア(マリア・ヤコベとマリア・サロメ)たちと小舟に乗って南フランスに逃れた。
マリアたちはサント・マリー・ド・ラ・メールでキリストの伝道をしていたが、晩年の「マグダラのマリア」はサント・ボームの洞窟(grotto of Sainte-Baume)で過ごしたと云う。
現在の洞窟は教会になっており、祭壇・マグダラのマリア像・遺物などがある。巡礼者や観光客らが訪れている。
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「マグダラのマリア」は洞窟の上のサン・ピロン山(944m)に登り祈ったと云う。今は山頂に小さなチャペルがある。
フランスでは「マグダラのマリア」を「マドレーヌ」と呼んでいる。
マドレーヌと云う名の寺院は多いが、ヴェズレーにあるサント・マドレーヌ大聖堂が有名で巡礼者が多い。マドレーヌの遺骨の一部が安置されており、信仰の対象になっている。
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聖書として認められていないが、「マリアによる福音書」と云う外典があり、「マグダラのマリア」は預言者としてキリストの伝道活動を行った。
マリアによる福音書は3世紀に存在していたが、現在は部分的な写本だけが残っている。パピルスにコプト語(古代エジプト語)で記されており、ギリシャ語の原書から翻訳されたと考えられている。
ナグ・マハディ写本やベルリン写本などが存在するが欠損部が多いので、文章は長くない。
ロシアの文豪・ドストエフスキー(1821年‐1881年)は「マグダラのマリア」を強く意識し、「罪と罰」を1866年に書いた。
ドストエフスキーの母の名前もマリアで、最初の妻の名前もマリアあった。
私は大学生の時(1962年)に「罪と罰」を読んでみたが非常に難解であった。
日本の多くの文学者、映画監督、漫画家などがドストエフスキーの影響を受けている。
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来年の2026年は日本の政治、経済、社会が大きく変化、前進し、世界も大きく変わっていくでしょう。
一人一人の国民の意識が集合すれば、社会全体が前進します。
印南神吉(いんなみ かんき)

