高市首相の先祖は高市皇子(たけちのみこ)か?
2025年10月、第104代首相に奈良県橿原市出身の高市早苗さん(1961年生、64才)が選ばれた。
高市首相は神戸大学経営学部を卒業すると、松下政経塾に入り国政参加を決めた。
1987年に松下政経塾からアメリカへ派遣され、米国連邦議会フェローとなる。
米国民主党下院議員の事務所で働きながら、日本の首相になることを目指す。
1989年に帰国、大学助手、テレビキャスターを務めた後、1993年の衆議院選挙で奈良県からトップ当選。
無所属、自由党、自由改革連合、新進党などを経て1996年に自民党に入党した。
落選中の2004年には近畿大学経済学部教授に就任。
2005年の衆議院選挙に自民党から立候補し当選。
自民党の重要閣僚を歴任、多くの書籍も出版している。
イギリス保守党の「鉄の女」サッチャー首相(1925年‐2013年)に憧れている。
古代に戻って、高市皇子(たけちのみこ、654年頃‐696年)の父は40代天武天皇(622年頃‐686年)、母は尼子娘(あまこのいらつめ、宗形徳善の娘)。
宗形氏(むなかたし、宗像氏、胸形氏)は筑前国宗像郡、玄界灘、響灘(ひびきなだ)を支配した海人豪族で宗像大社を奉斎する。
大和国にも宗像三女神を勧請、宗像神社(奈良県桜井市外山)を創建した。神官は高市皇子の後裔である高階氏と玉井氏が務めた。
高階氏は、新撰姓氏録によると「左京 皇別 高階真人 天武皇子浄広壱太政大臣高市王也」とある。
奈良県橿原市(かしはらし)曽我町(そがちょう)の天高市神社(あめのたけちじんじゃ、事代主命)も高市首相人気で話題になっている。
高市皇子(たけちのみこ)の名の由来は、大和国高市郡が出生地だからと考えられる。現在は「たかいちぐん」と読むが、古代は「たけち」であった。
高市郡は橿原市、飛鳥地方や周辺地域を包含していた。
672年の壬申の乱では高市皇子が大海人皇子(おおあまのみこ、天武天皇)を補佐して活躍、勝利に導いた。
翌年、大海人皇子が40代天武天皇として即位した。
高市皇子は41代持統天皇(645年‐703年頃)の太政大臣になり、長男の長屋王(676年頃‐729年)は45代聖武天皇(701年‐756年)の左大臣になった。
しかし持統天皇と藤原不比等(659年‐720年)の策略により、皇族の暗殺が次々と続き、皇統は持統天皇系に絞られてしまった。
そして、持統天皇が「勝利宣言」の歌を詠んだ。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
696年に亡くなった高市皇子も病死などではなく、毒殺による暗殺であったかもしれない。
長男の長屋王も729年に、藤原四兄弟が捏造した「謀反の罪」で追及され、一族共に自決させられた。
藤原四兄弟は、武智麻呂(むちまろ、藤原南家)、房前(ふささき、藤原北家)、宇合(うまかい、藤原式家)、麻呂(まろ、藤原京家)の4人である。
ところが藤原四兄弟全員が737年に天然痘で亡くなると、長屋王の祟りだと云う噂が都に広まった。
高市首相と高市皇子は繋がっているように思うが、確証は見つけられなかった。
新撰姓氏録には「左京 神別 天孫 高市連 額田部同祖 天津彦根命三世孫彦伊賀都命之後也」とあり、「和泉国 神別 天孫 高市県主 天津彦根命十二世孫建許呂命之後也」とある。
高市氏(高市連、高市県主)は天津彦根の曾孫・彦伊賀都の後裔で天孫氏族。
本拠地は大和国高市県で、首長として治めた。
高市首相の両親が愛媛県から奈良県の高市郡に移住した。愛媛県の今治市にも高市(たかいち)と云う地名がある。
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2月8日(日)の総選挙を経て、日本の未来は確実に明るくなると期待しています。
戦後80年を経過した日本の政治、経済、社会が「新たな高み」に次元上昇するように願っています。
印南神吉(いんなみ かんき)

