アリマタヤのヨセフ
帝政ローマ支配下のユダヤで、西暦30年頃にイエス・キリストがゴルゴタの丘で磔刑(たっけい)になった時に、「アリマタヤのヨセフ」がイエスの遺体を十字架から降ろし、引き取って岩窟の墓に納めた。
ヨセフはユダヤ教の祭司で、ユダヤ議会(サンヘドリン)の議員でもあったがイエス・キリストの「隠れ弟子」であった。日本の「隠れキリシタン」のようなものであった。
ユダヤ議会(サンヘドリン)は「最高法院」、「長老会」などとも云われた。
ユダヤ議会(サンヘドリン)はエルサレム神殿内にあり、ユダヤ教の神殿祭儀を行い、律法教育権があり、警察権・裁判権も認められ、刑の執行も行ったが、「死刑宣告」についてはローマが行った。
ほぼユダヤ人の自治が認められていたのではないか。
イエス・キリストと他の二人の「死刑(磔刑)宣告」も、ユダヤ議会ではなくローマ総督のポンテオ・ピラトが宣告した。
イエスの教えは、一般のユダヤ教徒の解釈・慣習とはかなり違っていたので、権利・利益の侵害を訴えるなどの事件が発生した。
イエスを信ずる人々は争いや追放を避けるために、日本の「隠れキリシタン」のように表面上は他のユダヤ教徒と歩調を合わせていた。
アリマタヤのヨセフのようにユダヤ議会の議員でも密かにイエスを信じていた。ユダヤ駐在のローマ兵の中にも密かな信者がいた。
アリマタヤのヨセフはローマ総督のポンテオ・ピラトと面談できる立場だったので、イエスの遺体を引き取りたいと願い出て許可された。
十字架に掛けられた犯罪者は、即死ではなく2日から4日間も苦しみながら息を引き取るように施されていた。
イエス・キリストは金曜日の朝9時ごろに十字架に掛けられ、午後3時頃に大声で叫んだ。その時ある者がやって来て海綿に酸いブドウ酒を含ませてイエスに飲ませた。
しばらくして、ローマ兵はイエスが死亡したと判断、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、岩窟に納めた。
アメリカ人のエドガー・ケイシー(1877年‐1945年)によると、十字架上のキリストが飲んだブドウ酒には心臓音が聞き取れなくなるほどの効果がある薬草のエキスが入っていたと云う。
だからアリマタヤのヨセフの計画通りに僅か6時間ほどで死亡したとローマ兵の隊長が誤認し、アリマタヤのヨセフにイエスの遺体を降ろさせた。
死亡を確認したローマの隊長も密かにイエスを信じていたかもしれない。マルコによる福音書15章39節によると、ローマの隊長が「まことに、この人は神の子であった」と述べた。
イエス・キリストは金曜日の午前9時頃に十字架に掛けられ、早くも午後3時頃に亡くなって3日目の月曜日に蘇り、復活した。
しかしエドガー・ケイシーは、キリストは亡くなったように見えたが生きていたので洞窟内で蘇り、弟子たちの前に復活、昇天したと云っている。
旧約聖書にメシア(救い主)預言記事は多く、例えば「メシアはユダ族のダビデ王の子孫」、「処女から生まれる」、「ベツレヘムで生まれる」、「メシアは処刑され、エルサレム神殿が破壊され、イスラエルの民は散らされる」などがある。
キリストに関して多くのメシア預言は現実のものとなるが、「メシアは処刑で死ぬが、復活する」と云う預言は達成するのは不可能に見える。
本当に死んでしまったら「預言通りに復活」できないので、アリマタヤのヨセフの「死んだふり計画」が成功したと云う。
西暦30年頃にイエス・キリストが復活・昇天した後の西暦66年から73年に勃発したユダヤ戦争でユダヤがローマに敗れ、西暦70年にローマ軍がエルサレム神殿を預言通りに破壊した。
ユダヤ教徒はそれまで行っていた「エルサレム神殿での信仰」ができなくなり、会堂(シナゴーグ)に集まって祈るようになった。
更に西暦132年から135年の第2次ユダヤ戦争の結果、イスラエルの民の離散(ディアスポラ)が預言通りに起きた。
アリマタヤのヨセフは、アイルランドのケルト神話の影響を受けた「アーサー王伝説」にも関係付けられている。
アリマタヤのヨセフがキリストの遺体を引き取った時に、キリストの血を聖杯に入れてブリテン島(イギリス)へ渡ったと云う。
ヨセフはイギリスに最初の教会を建て、それがグラストンベリー修道院になったと云われている。アーサー王の伝説の墓もある。
印南神吉(いんなみ かんき)

