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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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 天五多底(あめのいたて)、射立神(いだてのかみ)とも云われるので、五十猛命(伊達神)と同一神だと云う説がある。どちらも素戔嗚系ではあるが、私は別神だと思う。
 図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。
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 先代旧事本紀は饒速日(165年頃出生、素戔嗚の子)と天火明(140年頃出生)を同一神と見ているので、天村雲を饒速日の孫と記している。
 私もこの記事を信じていた時期があるが、今では饒速日と天火明の生年も出自も別と考えている。古文書、系図、伝承は間違いが多いので注意が必要です。

 素戔嗚(140年頃-200年頃)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時、出てきた銅剣を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名付けた。天村雲命はこの剣の名前で呼ばれているので、天村雲命の名付け親は素戔嗚尊と考えられる。
 この剣は素戔嗚から天照大神(大日孁貴尊)に贈られ、日本武尊(やまとたけるのみこと)によって草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名付けられ、皇室の三種の神器の一つになっている。草薙剣は熱田神宮(あつたじんぐう、名古屋市熱田区神宮1丁目1-1)に祀られている。

 天村雲(天牟良雲)は父の天香語山と共に、饒速日の東遷(185年頃)に従って、大和国にやって来た。天村雲の子孫は伊勢に移り、度会氏(わたらいし)となり、伊勢神宮外宮の神主を世襲した。
 天村雲神社が徳島県吉野川市山川町村雲133と山川町流32に二社鎮座している。

 天香語山は大和国から尾張国に行き尾張国の基礎を造り、越国まで行って開拓した。越後国一宮の彌彦神社(いやひこじんじゃ、やひこじんじゃ、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2)に祀られ、奥の宮に妃神の塾穂屋姫命(うましほやひめのみこと)と共に埋葬された。
 祭神の天香語山命(伊夜比古大神)は越後国開拓の祖神として信仰されており、神体山の弥彦山(634m)に奥の宮(神廟)がある。
©2012 Innami Kanki

by enki-eden | 2018-01-31 09:57

穂屋姫(ほやひめ)

 国宝の海部氏勘注系図によると、穂屋姫の父は海部氏の始祖・彦火明命で、母は佐手依姫、亦の名を市杵嶋姫、息津嶋姫、或いは日子郎女神(ひこいらつめのかみ)とある。
 先代旧事本紀の天孫本紀によると、天香語山命は異腹の妹の穂屋姫を妻として一男を生んだとある。この一男が天村雲命で亦の名を天五多底(あめのいたて)と云う。
 私見も交えて作った系図が次の図です。佐手依姫が市杵嶋姫であれば、穂屋姫は卑弥呼かもしれない。大日孁貴―市杵嶋姫(日子郎女神)―卑弥呼(日御子)と続いて、「日の神」を継承していったか。天火明命は対馬の天日神の娘・天道日女命を妻とした。
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 「伊根の舟屋」で知られる京都府与謝郡伊根町の東13kmに、舞鶴市の無人島、冠島(かんむりじま、雄島)がある。その北東2kmに沓島(くつじま、雌島)がある。二島は一対になっている。
 二島とも元伊勢・籠神社の「海の奥宮」になっており、冠島には天火明神が降臨し、沓島には妃神・日子郎女神(ひこいらつめのかみ、市杵嶋姫命)が降臨したとされる。
 日子郎女神の子が日子(日御子、卑弥呼)になったか。


©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-01-23 09:51

ベンガラ(弁柄、紅柄)

 酸化鉄の1つであるベンガラは、天然には赤鉄鉱として産出する酸化鉄であり、ベンガラの名はインドのベンガル地方で産出したことに由来する。オランダ語でBengala、英語ではRed Iron Oxide。
 このベンガラは赤色顔料で、人類が最初に使った赤色の無機顔料である。フランス南西部のラスコー洞窟やスペイン北部のアルタミラ洞窟での赤色壁画は約17,000年前に描かれた。

 日本では縄文時代に土器などに施した赤色彩色が、ベンガラを使用している。9,500年前の鹿児島県上野原遺跡の土器、6,000年前の福井県三方町の鳥浜遺跡の弁柄櫛、5,500年前の青森県三内丸山遺跡の土器、3,000年前の青森県亀ヶ岡遺跡の土器などにベンガラが使われている。
 福井県鳥浜遺跡の弁柄櫛は、素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)の妻となった奇稲田姫も同じような櫛を使っていたと考えられる。「福井県のホームページ」をご覧ください。

 素戔嗚は奇稲田姫を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変えて髪に刺し、ヤマタノオロチを退治した。実際には奇稲田姫を櫛に変えたのではなく、奇稲田姫の使っていたベンガラ塗りの櫛を借りて髪に刺し、奇稲田姫の霊力・魔力・呪力をもらったと考えられる。
 伊弉諾尊(西暦125年頃-190年頃)の「黄泉の国」の段でも湯津爪櫛が出てくる。当時は男性も「みづら」に櫛を刺していた。

 古墳時代には、北部九州に多い装飾古墳でベンガラの赤い壁画が見られる。赤色は当時「魔除け」、「厄除け」、「再生(血の色)」などと信じられていた。
 奈良県高市郡明日香村の高松塚古墳(7世紀末)では、石室の内壁面に漆喰を塗り、その上に描かれた人物像には極彩色が用いられている。2種類の赤色が使い分けられており、女人像の赤い上衣はベンガラで、帯の赤は朱(水銀朱,HgS)で彩色されている。
 これらは、天然の鉱物からの無機顔料であったために、変色することなく現在まで鮮やかな色を維持している。

 日本では江戸時代にベンガル地方の顔料を輸入したので「べんがら」と名付けられた。京都ではベンガラ格子(紅柄格子、べにがらごうし)などの建材塗料にベンガラが使われた。耐候性、耐久性があり、落着いた色あいの特徴を活している。ベンガラは空気中で最も安定な酸化状態なので化学変化が起こりにくく、耐候性・耐久性に優れた顔料と言える。

 酸化鉄(Fe2O3)を多く含んだ土壌は黄色から赤褐色をしており、これを焼くと鮮やかな赤になる。日本では丹土(につち)と呼ばれ、古くから赤色顔料として使われた。
 江戸末期には緑礬(りょくばん、硫酸第一鉄の含水塩)を焼成して顔料用酸化鉄を作った。岡山県高梁市(たかはしし)成羽町(なりわちょう)吹屋(ふきや)のものが好まれ、「吹屋弁柄」は日本中に供給された。九谷焼、伊万里焼、有田焼などの赤絵にも使われた。神社の赤色塗装は、鮮やかな赤は鉛丹(四酸化三鉛、Pb3O4)の橙赤色で、少し茶色っぽい赤がベンガラである。

 現在では、湿式法によって高純度ベンガラが化学的に大量生産されている。合成酸化鉄赤は鉄の赤さびと同じで、硫酸鉄を高温で熱し、苛性ソーダで中和する。
 近代になって、軍艦などの船底塗料が大量に必要になり、生産の追いつかない吹屋弁柄は廃れていった。

 有機顔料(絵具)を使って描かれた赤色は、化学的には不安定で、時間が経つと共に変色・褪色していく。レオナルド・ダヴィンチ(1452年-1519年)の「モナリザ」の頬と唇は、絵具の赤色が約500年後の現在色褪せてしまっている。
 ©2012 INNAMI KANKI
by enki-eden | 2018-01-16 09:57

本えびす

明石市の稲爪神社の「本えびす」に行ってきました。
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©2012 INNAMI KANKI

by enki-eden | 2018-01-10 12:10

岩岡神社(神戸市西区)

兵庫県神戸市西区岩岡町182   南の方から入ると境内に車を停められます。
明石郡岩岡村鎮座
祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
   正建大神(松平若狭守直明公、まつだいらわかさのかみなおあきらこう)。



 1682年(天和2年)に神出神社から当地天ヶ岡に大岩を迎えて祀った。これが岩岡神社の前身である天ヶ岡神社の起こりと云う。
 神代の昔、素盞嗚尊(西暦140年頃出生)が当地に降臨したとの伝承があるので、1693年(元禄6年)に社殿を建立し、姫路の廣峯神社より牛頭天王(素盞嗚尊)を勧請した。
 素盞嗚尊は「五穀の守護神」で、五穀豊穣と当地の守護・発展に霊験は殊のほかあらたかである。

 1721年(享保6年)に、明石藩主で当地開拓の祖である松平直明公(1656年-1721年)が死去すると、当地の開拓民はその徳を慕い、「正建神霊」と書いた位牌を受け、天ヶ岡神社(当社の前身)に合祀した。その後、位牌を神出村の西光寺などに納めていたが、1851年(嘉永4年)に当社にお迎えし、正建大神(松平直明公)の大祭を行った。
 秋の大祭(10月10日)は威勢の良い「ふとん太鼓」などで大賑わいになる。 当社は氏子が当番で管理しており、明石市の柿本神社(人丸神社)の宮司が宮司職を兼務しているようだ。

    入口の石鳥居、参道は長い。
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 拝殿、西向きになっており、前に土俵がある。 春祭りでは相撲が奉納される。
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 幣殿と本殿、屋根瓦には素盞嗚尊の祇園木瓜紋と松平家の三つ葉葵紋がある。
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 「岩の神」、社務所の前に松の古木と共に一個の「れき岩」を祀ってある。
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 豊宮、「翁の面」で雨乞いをすると必ず雨が降ると云う。
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   豊宮の左に稲荷神社
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 松平直明は徳川家康の曾孫で、1678年に越前大野藩主となり、1682年に播磨明石藩主に転封となった。新田開発に力を入れ、兵学を重視した。墓所は明石市立天文科学館南の長寿院。
 松平直明公が岩岡一帯の開拓に尽くしたので、住民が正建大神として岩岡神社に合祀した。

 私事ですが、私の先祖は越前国大野藩の藩士でしたが、1682年に松平直明公が大野藩主から明石藩主に転封になったので、私の先祖も明石に移住し明石藩の藩士となりました。
©2012 Innami Kanki

by enki-eden | 2018-01-08 12:46
兵庫県加古郡稲美町(いなみちょう)印南(いんなみ)1069   境内に車を停められます。
祭神 表筒男命(うわつつのおのみこと)、
   中筒男命(なかつつのおのみこと)、
   底筒男命(そこつつのおのみこと)、
   息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。

 国安天満神社の宮司が兼務している。神社の南は灌漑用ため池の宮池がある。


 
 当地の開墾が始まり、1712年(正徳2年)に泉州住吉大神の分霊を勧請したとある。私見では、泉州(和泉国)ではなく、摂津国の住吉大社からの勧請だと考えていたが、当地の開墾にやって来た泉州堺の人が信仰していた住吉大神を祀ったのが始まりのようです。

 播磨国には住吉神社と大歳神社(大年神社)が多い。海人族の津守氏は住吉大社を本拠とし、各地に社領・荘園を持ち、造船用の木材確保をしていた。大歳神は降雨量の少ない瀬戸内海地方に灌漑用ため池や水路の築造を指導した。

   入口の鳥居
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   拝殿、西南西向きになっている。
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   幣殿と本殿
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   鹿島社、祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)か。
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   愛宕社(火伏せの神様)、立派な瓦。
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   鳥居の近くに印南行者堂。役行者(えんのぎょうじゃ、634年-706年)を祀る。
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©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-01-02 00:05

おめでとうございます

あけましておめでとうございます!
                    2018年元旦

   新幹線から写す。
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by enki-eden | 2018-01-01 00:03