古代史探訪

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磯部神社(いそべじんじゃ、加西市)

礒邊大明神、播磨国賀茂郡(賀毛郡)鎮座。
兵庫県加西市中富町1245

祭神  鴨玉依姫神和魂(かもたまよりひめのかみのにぎみたま)、
    市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、
    大歳神(おおとしのかみ)。

明治時代(1911年)に大歳神社を合祀した。
当社は日吉神社の宮司が兼務している。



 鴨玉依姫は賀茂建角身命(175年頃出生)と神伊可古夜比売(丹波)の娘。大山咋神(おおやまくいのかみ、185年頃出生)との間に賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を生んだ。
 鴨玉依姫が京都の「石川の瀬見の小川」で川遊びをしていると、川上から大山咋神が丹塗矢に化身して流れ下って来た。この矢を床の周りに置いて寝た所、鴨玉依姫は妊娠し、男の子(賀茂別雷神)を産んだ。
 鴨玉依姫を祀る神社は多く、賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、日吉大社などに祀られている。

 市杵島姫(160年頃出生)は素戔嗚尊(140年頃-200年頃)と比売大神(天照大神①)の誓約により生まれ、宗像三女神の一柱になっている。市杵島姫は卑弥呼(179年-247年、天照大神②)の母かもしれない。
 図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。
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   石の鳥居
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   拝殿
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   本殿、女神であるが千木と鰹木は男神仕様になっている。
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 当社の2.5km南南西に玉丘古墳がある。(2015年4月3日投稿)

©2012 INNAMI KANKI
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by enki-eden | 2018-02-27 14:32

石部神社(いそべじんじゃ、加西市上野町)

兵庫県加西市上野町71  電0790-44-0046  無料駐車場あります。
播磨国賀茂郡(賀毛郡)鎮座、賀茂郡は平安末期に加東郡と加西郡に分かれた。

祭神 市杵島姫命、
   田心姫命、
   湍津姫命。
御神徳は海上安全、水難除け、所願成就。



 717年(養老元年)、44代元正天皇(680年-748年、女帝)の皇女が安芸国一宮である宮島の厳島神社に参詣、海路で帰還しようとしたが海が荒れ、遭難して播州室津に上陸した後、薨去した。
 皇女が「我が守護神は市杵島姫命なり、これを当地の産土神と崇め奉れ」と遺言した。それで、719年(養老3年)に安芸国宮島から三女神を勧請した。

 当社の裏山は三津山(宮山)と呼ばれ、皇女を埋葬した。149mの山頂には皇塚古墳と云う円墳(20m)がある。円墳の築造時期は5世紀頃と見られるので時代が合わない。
 そして、元正天皇の結婚歴は記録がないので、皇女はいないはずであるが、例えば長屋王(684年-729年)との間に若い頃の隠し子がいたのかもしれない。元正天皇の妹・吉備内親王(686年頃-729年)は長屋王の妃になっている。
 2014年11月9日投稿の長屋王と吉備内親王をご参照ください。

 当地の在田郷は播州赤穂の浅野家の領地であったので、浅野家は当社を篤く信仰していた。門杉は樹齢1300年の巨木で、当社創建時からのもの。

   入口左右に門杉、根回り5m、高さ30m。鎮座の719年に記念植樹された。
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   絵馬殿と拝殿、裏山の三津山頂上に皇塚古墳がある。
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   本殿、春日造り。南西向きで千木と鰹木は男神仕様となっている。
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   八坂社、神明社、道祖社。
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   少名彦社と稲荷社
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   鐘楼
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©2012 INNAMI KANKI
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by enki-eden | 2018-02-20 09:53

日吉神社(加西市池上町)

富家(ふけ)の大宮
兵庫県加西市池上町7  電0790-45-1616
車は南側から入るか、西の裏鳥居の横に停める。

祭神 大山咋大神和魂(おおやまくいのおおかみのにぎみたま)、
   大己貴大神(おおなむちのおおかみ、大国主神・大物主神)、
   田心姫大神(たごりひめのおおかみ)、
   白山比売大神(しろやまひめのおおかみ)、
   大山咋大神荒魂(おおやまくいのおおかみのあらみたま)、
   鴨玉依姫大神和魂(かもたまよりひめのおおかみのにぎみたま)、
   鴨玉依姫大神荒魂(かもたまよりひめのおおかみのあらみたま)。

御神徳は五穀豊穣、国家鎮護、開運、家内安全、鬼門除け、安産。

 赤のアイコンが日吉神社、黄が奥宮の鎌倉山。


 3.5km北にある奥宮の鎮座する鎌倉山(453m)を御神体山として拝してきたが、その大神様を当地の里にお迎えし、830年に近江国日吉大社から勧請された。
 鎌倉山は加西市の北部、河内町(こうちちょう)にあり、周辺は旧行者道になっており、古くから賀茂郡(加西市、加東市、小野市)の神々の古里として崇敬されている。役行者(えんのぎょうじゃ、634年-706年)の影響で修験道の中心となったが、今は鎌倉山行者道ハイキングコースとなっている。

 日吉神社境内の六尺藤(5月)と紅葉(七五三の頃)が有名。宮司さんは周辺16神社の兼務をしておられる。
 日吉神社の神使いの神猿(まさる)は、「魔が去る」、「勝る」の意味があると云う。

   楼門
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   絵馬殿と拝殿
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   本殿、真東を向いている。
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   本殿前に神使いの「神猿(まさる)」、
   見ざる、聞かざる、言わざる。
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   愛宕社(火の神)
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 手前から皇大神宮社(天照大神、豊受大神)、
 針神社(2月8日に針供養)、
 赤山大明神(せきさんだいみょうじん、泰山府君か?)。
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 泰山府君は、日本では素戔嗚尊や大国主命と関係づけられ、陰陽家で祀られた。
天台宗の守護神で、延命・富貴の神として商人の信仰があつい。
 陰陽師の安倍晴明(921年-1005年)が「泰山府君祭」を得意とし、天皇などの健康長寿を祈祷していた。

  西の裏参道の鳥居、神使いのお猿さんが迎えてくれる。
  ここに車を停めました。
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©2012 INNAMI KANKI
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by enki-eden | 2018-02-15 09:29

八王子神社(加西市)

 兵庫県加西市田谷町(たやちょう)1265  電0790-45-0861  駐車場あります。
 祭神 八王子大神
     国狭槌命(くにさつちのみこと)(中央)、
     伊弉諾命(いざなぎのみこと)(右)、
     伊弉冉命(いざなみのみこと)(左)、
     大己貴命(おおなむちのみこと)(右端)、
     天津彦火瓊瓊杵命(あまつひこほのににぎのみこと)(左端)、
     木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)(明治43年に合祀)。

 五穀豊穣、安産守護。
 創建 1037年(69代後朱雀天皇、長暦元年)、鏡山に鎮座。正一位八王子権現。

 赤のアイコンが八王子神社、黄が大歳神社


 伝承によると長暦元年(1037年)、天変地異による疫病、害虫発生で多くの人が餓死した。村人が鏡ヶ原の南にある大歳神社で7日7夜の間、妖魔退散、五穀豊穣を祈願した。大歳神社は多いが、500m南に鎮座する大歳神社か?
 その満願の日、天より「われは八王子大神なり。鏡ヶ原に鎮まり妖魔を退け、五穀豊穣の地となさむ。」との声があり、疫病・害虫は治まった。
 それで、近江国日吉大社より八王子大神を勧請して祀るようになった。日吉大社については、2014年6月17日投稿の「日吉大社①」をご参照ください。

 八王子とは素戔嗚尊の御子である5男3女を云う場合が多いが、近江国日吉大社の奥宮のある牛尾山(八王子山、381m)に国狭槌尊など8人の王子が顕れたと云われ、八王子権現と呼ばれた。
 また、八王子山に降臨した山の神・大山咋神の初現の姿(荒魂)を初王子として祀ったのを、後に八王子と訛ったと云う説もある。

 日本書紀によると、神世7代の2代目が国狭槌尊(西暦20年頃出生)になっているが、古事記によると、大山津見神(おおやまづみのかみ、西暦135年頃出生)と野椎神(のづちのかみ)が国之狭土神(くにのさつちのかみ、西暦150年頃出生)を生んだとある。
 国狭槌尊と国之狭土神は時代が大きく違っているので、名前は似ているが別神か。但し、同じ奴国王の系統だと考えられるので、先祖の名を継いだのか。

   石の鳥居
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    参道
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   随神門
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   拝殿
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 本殿、1693年築造。当時の社領は10万平方メートル(3万坪)もあった。
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  東の末社、左が伊勢神社(天照皇大神、豊受大神)、
  右が猿田彦神社(猿田彦命)。
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 西の末社、愛宕・秋葉神社(句句廼馳命、火須曾理命、阿遇突知命)、
 御井神社(罔象神、みずはのめのかみ)、
 雪彦神社(せっぴこじんじゃ、國常立尊)。
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 背後の鏡山に6基の鏡山古墳群がある。直径10mの円墳で6世紀の築造。
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©2012 INNAMI KANKI
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by enki-eden | 2018-02-07 09:56

若杉山遺跡の辰砂採掘坑道

 徳島県阿南市水井町の若杉山遺跡で辰砂採掘の坑道が発見された。弥生時代後期から古墳時代初頭に採掘されていたので、卑弥呼(179年-247年)の時代にも採掘が盛んであった。また、饒速日(165年頃出生)や神武天皇(181年-248年)の東遷の時期にも重なる。


 坑道内部の高さは最大で90cmなので、採掘作業は「ほふく前進」だったでしょう。辰砂(しんしゃ)は丹(に)と呼ばれ、火山や硫黄鉱床近くに産出する。
 辰砂は硫化水銀で毒性が強い鉱物なので、採掘の際の粉塵で職人は体を損ない、早死にした。辰砂採掘、水銀精製を職とする家系は、息子には家業を継がせない。娘に婿を取って、その婿に作業させる。

 初代神武天皇は大和国に入る時、「飴(水銀朱)があれば武器を使わなくとも天下を平らげるだろう」と云った。それほど辰砂は高価なものであった。そして神武天皇は211年に橿原で即位した。

 2013年2月9日投稿の丹生都比売神社をご参照ください。
C 2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-02-01 22:40