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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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兵庫県朝来市(あさごし)生野町(いくのちょう)口銀谷(くちがなや)190
兵庫県有形文化財、境内に車を停められます。
兵庫県には大歳神社(大年神社)が400社近く存在し、神徳の大きさを物語っている。

祭神 大歳大神、
   天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命(くまのくすひのみこと)、
   田心姫、湍津姫、市杵島姫、
   埴安彦命(はにやすひこのみこと)。

創建 康保2年(965年、62代村上天皇の時代)、
    大正12年(1923年)に現在地に遷座し建立。



   入口の明神鳥居
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 背後の山を朝日山と云い、300m登ると大きな洞穴がある。大歳神社の縁起書によると、
『朝日山の磐座より夜ごとに火玉が閃くことがあった。里人が登ってみると美しい姫がおられた。
 姫が、吾は市杵島姫也。胎内に一子を孕んでいる。子が生まれたら当地の氏神としなさい。
 よく信仰すれば、必ず国家安全・万民豊楽になると云われた。』とある。
 出雲大社の千家尊福(せんげたかとみ、1845年-1918年)宮司の詠んだ歌、
   大空の よそに思わで 朝日山 のぼりてあおげ 神のひかりを

   拝殿
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   本殿
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 境内社、右から稲荷神社、当勝神社(まさかつじんじゃ、天忍穂耳命)、戎神社、
     三柱神社(天満神社、庚申神社、厄除神社)、粟島神社(少彦名命)。
 1月に戎神社の「ゑびす祭」が執り行われる。
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 生野町口銀谷は生野銀山で栄えた鉱山町独特の風情が漂う。「兵庫県景観形成地区」に指定されており、優れた景観を保全し、魅力ある街づくりと文化的な県民生活の確保を目的としている。

 生野銀山は平安時代初期の807年に銀が出たことに始まる。室町時代の1542年に但馬守護職である山名祐豊(すけとよ、1511年-1580年)が鉱山を開坑し、翌年に山名祐豊が八王子社を建立。八王子社は1698年(元禄11年)に当社に合祀された。従って、当社は多くの神を祀っている。

 生野銀山では1567年に日本最大の鉱脈が発見された。
 織田信長と豊臣秀吉は鉱山を直轄地とし、徳川家康は但馬金銀山奉行を設置した。佐渡金山、石見(いわみ)銀山と共に天領として徳川幕府の財政を支え、最盛期には月産560kgの銀を産出した。

 明治政府は生野銀山を政府直轄の官営鉱山とし、生野銀山と姫路の飾磨港の間約50kmの輸送を担う「馬車専用道」が造られた。現在は「銀の馬車道」と名付けられている。

 明治22年(1889年)に生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移された。生野鉱山は明治29年(1896年)に三菱に払い下げられたが、昭和48年(1973年)に閉山した。
 閉山翌年には観光施設として「史跡・生野銀山」が開業された。(JR生野駅から5km)
©2012 Innami Kanki

by enki-eden | 2018-06-27 09:47
兵庫県朝来市生野町口銀谷704
祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)

創建 16世紀頃
 大正5年(1916年)現在地に遷座し、他の稲荷神社も合祀。
 姫宮神社が兼任しているようだ。

山神社を市川沿いに200mほど西に歩くと稲荷神社が鎮座している。



   鳥居と拝殿
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   拝殿
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   拝殿内
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 祭神の倉稲魂神(うかのみたまのかみ、宇迦之御魂神)は素戔嗚命と神大市姫との娘で、兄は大歳神である。稲倉を守護する穀物の神として信仰されており、京都の伏見稲荷大社の主祭神になっている。
 近年では商業の神としても篤く信仰され、多くの神社の境内に稲荷社が鎮座、「お稲荷さん」としてビルの屋上や商店街の一角にも祀られている。

 日本書紀の「国生み」の記述の中の一書には、伊弉諾命と伊弉冉命が飢えて気力のない時に生んだ子を倉稲魂命と云うとあり、伊勢神宮内宮のすぐ西隣に鎮座する御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)として祀られ、豊受大神と同じとされるが、素戔嗚命と神大市姫との子である倉稲魂神とは別神であろう。
©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-06-17 09:40
 平城宮跡の東の端に「東院(とういん)」と呼ばれる張り出し部があり、その東院地区の中に皇太子の東宮(とうぐう)もあった。
 皇太子の居所は皇宮の東に設けられるので東宮(春宮)と呼ばれる。

 奈良文化財研究所の6月14日の発表によると、その平城宮跡の東院で、奈良時代後半の施設跡として、東西6m、南北15mの掘立柱建物跡が見つかった。その中に火を用いた調理場(かまど)も見つかった。
 当時は女帝の46代孝謙天皇(重祚して48代称徳天皇、718年-770年)の時代。
 孝謙天皇(称徳天皇)は45代聖武天皇(701年-756年)と光明皇后(701年-760年)の皇女で、東院に「東院玉殿」を建て、宴や儀式を催していた。

 東院地区では昨年、大型の井戸跡や水路跡が出土しており、今回見つかった調理場はその東側にあり、宴の食膳を準備するために施設を機能的に配した大規模な厨(くりや)だったと推測される。

 調理場は東西に並んで4カ所あり、火を用いた痕跡があり炭も堆積していた。南側でも同様の痕跡が見つかっており、奈良文化財研究所は火を使った調理場が広がっていたと考えている。

 調理場のある建物の西側には階段跡があり、これより低い位置にある大型の井戸と階段でつないでいたとみられる。

 平城宮大極殿の北側には「大膳職(だいぜんしき)」があり、東側には「造酒司(みきのつかさ)」井戸跡がある。
 造酒司は宮内省直属の役所で、平城宮で使用する酒の醸造を司っており、造酒司井戸の水を酒醸造用に使っていた。
©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-06-15 15:00
 山神(さんじん)さん、無料駐車場あります。
 兵庫県朝来市(あさごし)生野町(いくのちょう)口銀谷(くちがなや)698

 祭神 金山彦命(かなやまひこのみこと、鉱山の神様)
     伊弉冉命(いざなみのみこと)が迦具土命(かぐつちのみこと)を生むときに
     火傷をして、苦しみながら吐いた物から金山彦命と金山姫命が生まれた。

 創建 大永元年(1521年)

 当社は口山神社と称していたが明治24年(1891年)に現在地に遷座し、奥山神社と合祀して山神社となった。

 奥山神社は但馬守護職・山名祐豊(すけとよ、1511年-1580年)が生野銀山の発展を祈願して天文22年(1553年)に大山祇神を勧請して創建していた。
 天正4年(1576年)に生野銀山の守護として神宮寺を建て毘沙門天を祀ったが、明治の神仏分離令により毘沙門天を仙遊寺に遷し、奥山神社には金山彦命が祀られた。

 生野銀山が稼働していた時代は大変賑わい、春の大祭には鉱山も休業となって「山神祭」が開かれ、立派な神輿が町内を練り歩いたようだ。
 昭和48年に生野銀山が閉山し、往年の賑わいはなくなった。



 日本の鉱山で働く人の安全と発展を祈願して、愛媛県大三島に鎮座する大山祇神(おおやまづみのかみ、山の神)が鉱山には祀られている。
 2016年9月5日投稿の「大山祇神」をご参照ください。
  
 生野銀山地区の北は「岩津地区」で、朝来市の特産品「岩津ねぎ」で有名。関東の白ネギと京野菜の九条ネギ(青ネギ)の自然交配でできたと考えられているが、品種改良されたとも云われている。
 岩津ねぎは19世紀初め頃に生野銀山労働者の冬の野菜として栽培され、今では朝来市全域で特産品として生産、商標登録されている。
 料理研究家の故・土井勝氏(1921年-1995年)が冬場の鍋料理に岩津ねぎが良く合うと絶賛した。

   鳥居と拝殿(北向き)
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 鳥居横に恩賜記念碑があり、説明文によると、
 『生野銀山は1542年の開坑以来400年の間、幕府や政府の庇護と町民の協力により繁栄してきた。明治22年からは宮内省所管の鉱山だったが、明治29年に三菱合資会社の経営に移った。
 その際、宮内省から町民の永年にわたる協力を称賛して、当時としては莫大な金額の69,000円が下賜された。
 町はこれを基金として町政の振興を図るとともに、この喜びを子孫に伝えるために記念碑を建立した。』

   本殿
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©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-06-09 23:27
 兵庫県朝来市(あさごし)生野町(いくのちょう)口銀谷(くちがなや)2-303
 祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、
    倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、
    天目一箇神(あめのまひとつのかみ)。

 姫宮神社が兼任しているようだ。

 「朝来」の地名は志賀剛著「神名の語源辞典」によると、朝は麻、来は衣(こ)で麻衣(あさごろも)のような形の山々が多いからとある。

 当社の創建は、享保18年(1733年)に天照皇大神を鎮祭、玉翁院の鎮守社として宝暦7年(1757年)社殿を再建し、明治初年の神仏分離令により独立した。
 明治21年(1888年)社殿を再建。市川沿いに姫宮神社から300mほど歩いた所に神明神社が鎮座。

 江戸時代の生野銀山は幕府の直轄地であったので、元和2年(1616年)に徳川家康が亡くなると菩提を弔うため東照寺(後の玉翁院)を建立し、歴代将軍が亡くなるごとに位牌を祀った。
 昭和27年に玉翁院が廃寺になったので、位牌は東西寺(朝来市生野町口銀谷510)に移った。神明神社の550m北にある。
  赤が神明神社、黄が東西寺。


   拝殿
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©2012 Innami Kanki
by enki-eden | 2018-06-01 09:12