古代史探訪

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黒岡稲荷神社(兵庫県揖保郡太子町)

 兵庫県揖保郡(いぼぐん)太子町太田250-1  無料駐車場あります。
 祭神 宇迦之御魂(うかのみたま)

 黒岡神社の御旅所となっている。



 宇迦之御魂(倉稲魂命)は通称「お稲荷さん」と呼ばれ、父は素戔嗚命(140年頃出生)、母は神大市姫(かむおおいちひめ、大山祇神の娘)、兄に饒速日命(大年神、165年頃出生)がいる。
 宇迦之御魂は全国の稲荷神社に祀られているが、稲荷神社の総本社は京都の伏見稲荷大社です。 

 宇迦之御魂の降臨地は伏見稲荷大社後方の稲荷山、饒速日命の降臨地は大阪府交野市(かたのし)の磐船神社
 両社間の直線距離は25kmほどで、宇迦之御魂も西暦185年頃の饒速日東遷に従って九州から来たのでしょうね。  
  赤が伏見稲荷大社、黄が磐船神社。


   拝殿
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 本殿、男神仕様になっているが宇迦之御魂は一般的には女神となっている。出雲系の神社では男神・女神にかかわらず、千木は外切り、鰹木は3本になることが多い。
 この日(5月27日)は天気が良く、参拝していると鶯の声も聞こえてきました。
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 私は3年前に、鰹木について島根県松江市八雲町熊野に鎮座の熊野大社に問い合わせました。そのご返事は、『鰹木ですが、全国的に見ますと奇数、偶数で陽と陰を表している事が多く、一般的には男神、女神で区別されている場合が多数ありますが、大社造り自体が基本的に3本であることが多く、鰹木だけでは性別が計れないことが多いです。』と云うものでした。
©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-07-24 08:47

黒岡神社(兵庫県揖保郡太子町)

 兵庫県揖保郡(いぼぐん)太子町太田917  電079-276-2251  無料駐車場あります。
 祭神 八幡大神(誉田別命、15代応神天皇)
 配祀 黒岡明神(藤原貞国)、天神(菅原道真)

 当初は黒岡八幡と称したが、明治7年に黒岡神社になった。



 神功皇后(321年-389年)が363年の新羅遠征の帰途、忍熊王(おしくまのみこ)が軍を率いて打ち破ろうと待ち構えているので、神功皇后は当地の太子町に上陸して作戦会議をしたことにより、住民が八幡神を祀るようになった。
 忍熊王は武内宿禰の攻撃を受け、「瀬田の唐橋」(滋賀県大津市)付近で入水自殺した。神功皇后は摂政となり、西暦363年を摂政元年とした。

 日本書紀の神功皇后紀に基づき、日本書紀に多用されている「筆法」を勘案して、神功皇后の年代・事績を作成しました。神功皇后だけではなく、卑弥呼と臺與の年代・事績も神功皇后紀に「筆法」により記されています。図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。
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 「峰相記(ほうそうき)」(南北朝時代の播磨国の地誌)によると、天平宝字8年(764年、47代淳仁天皇)、2万艘の軍船で播磨灘に攻め込んできた新羅に対して朝廷は、鉄の的をも射通すという藤原貞国に「的(いくわ)」の姓を与え、征討大将軍に任じ、新羅の大軍を討伐させた。
 (2万艘はオーバーだと思いますが・・・、2万人の間違いか)
 藤原貞国は大風に乗じて出陣し、敵将の首を取った。貞国はこの功績により播磨西五郡(揖保郡、飾磨郡、赤穂郡、佐用郡、宍粟郡)を賜り、的(いくわ)姓を名乗って太田郷楯鼓原に住所を構え長くこの地に栄えた。

 藤原貞国は没後、黒岡神社に祀られ、境内には彼の墓と伝えられる円墳があり、円墳入口の竜山石製の石碑には「藤原貞国掾(じょう)塚」と刻まれている。石碑は家形石棺の蓋を利用している。
 この古墳は6世紀後半頃の築造なので、藤原貞国の時代より200年ほど古い。

 また、菅原道真(845年-903年)が筑紫に向かう途中、広畑の高浜に滞留、当社へ参詣したので菅原道真も祀られている。

   神門
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 黒岡神社古墳(貞国塚)、藤原貞国の墓と云われる径15m、高さ5.3mの円墳。
 古墳前の赤鳥居は左が荒神社(素戔嗚命か)、右が琴平社(大物主命か)。
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 古墳には右片袖の横穴式石室に組み合わせ式石棺が残っている。
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    古墳の後方より
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   天神寝牛石
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   拝殿、拝殿前には左近の桜と右近の橘が植えられている。
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   本殿
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by enki-eden | 2018-07-16 09:02

淳仁天皇の淡路陵

 兵庫県南あわじ市賀集(かしゅう)岡ノ前
 47代淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年-765年)の淡路陵(あわじのみささぎ)。

 普段は町の中に住んでいても、自然に恵まれた地域を旅するのはいいですねぇ。この日(6月21日の夏至)の南あわじ市では「玉ネギ小屋」に玉ネギをいっぱい吊り下げて、水田には水を張り、既に田植えを終えている所もありました。
 昔、車で淡路島を一周したことを思い出しました。

 淳仁天皇は40代天武天皇(622年頃-686年)の孫で、父は天武天皇の第7子舎人親王(とねりしんのう、676年-735年)。
 淳仁天皇は758年に即位する前は大炊王(おおいおう)と呼ばれ、藤原仲麻呂(706年-764年、恵美押勝)の長男・真従(まより)の未亡人・粟田諸姉を妃とした。
 淳仁天皇は藤原仲麻呂と関係が深かった。

 760年に太師(太政大臣)となった藤原仲麻呂は、764年に孝謙上皇(46代孝謙天皇、718年-770年、女帝)に叛乱を起こし、失敗して殺害される。
 藤原仲麻呂と関係が深かった淳仁天皇は、孝謙上皇により皇位を追われ、廃帝となって母親の当麻山背(たいまのやましろ)と数人のお供だけで淡路島に配流された。

 孝謙上皇は重祚して皇位に復帰し、48代称徳天皇となって弓削道鏡(700年-772年)と共に政治を行った。
 淳仁天皇は765年に淡路島で崩御、暗殺されたか。
 称徳天皇陵は神功皇后陵の近くにあり、2013年4月8日投稿の「神功皇后陵」の中に載せています。 



  赤のアイコンが淳仁天皇淡路陵、黄が当麻山背の墓。


   淳仁天皇淡路陵
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 天皇陵の横にある畑の「玉ねぎ小屋」。玉ねぎは吊り下げると、乾燥・熟成して栄養価が高くなり、甘くなる。
 淡路島は「おのころ島」でもあるが、「玉ねぎ島」でもある。玉ねぎの産地としては、兵庫県は北海道、佐賀県に次いで全国3番目の収穫量がある。
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 淳仁天皇淡路陵の1km南に淳仁天皇の母の墓「当麻夫人墓」が見える。
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 122代明治天皇(1852年-1912年)は、廃帝となっていた淳仁天皇の名誉を回復し、明治6年に京都の白峯神宮(しらみねじんぐう)(2014年1月25日投稿)に淳仁天皇を祀った。
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by enki-eden | 2018-07-09 09:22

猪篠八幡神社(いざさはちまんじんじゃ、神崎郡神河町)

兵庫県神崎郡(かんざきぐん)神河町(かみかわちょう)猪篠(いざさ)1113
祭神 誉田別命(ほむたわけのみこと、15代応神天皇)、
   比売神(ひめのかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。

 鳥居横に車を停められます。

 地名の猪篠(いざさ)は八幡神を指す地名で、八幡神は2km西の八幡山(775m)頂上に祀られていたが当地に遷座したと云われている。八幡山は朝来市生野町と神崎郡神河町の境界にある。
  赤が八幡神社、黄が八幡山。


 応神天皇(363年-403年)が神功皇后(321年-389年)摂政13年(西暦375年)、立太子として氣比神宮(けひじんぐう、福井県敦賀市)にお参りし、氣比大神と太子が名前を交換した。それで氣比大神を去来紗別神(いざさわけのかみ)と云い、太子を誉田別尊と名付けたと云う。
 2017年10月27日投稿の「伊奢沙別命」をご参照ください。
 
 応神天皇に因んだ「イザサ」が当地の地名「猪篠(いざさ)」になったと考えられるが、姫路市安富町の伝承によると、凶暴な大鹿をイザサ王と呼んでいたとある。
 播磨国風土記託賀郡にも応神天皇と大鹿の記事がある。2015年12月26日投稿の「大津神社」をご参照ください。

 また、海部氏・尾張氏の祖である天火明命の別名を「イザサ王」とし、「火明命の荒ぶる神」と云う説がある。八幡神とは、火明命の死後の名前であり、イザサ王のことであると云う説もある。

 播磨北部に多い両部鳥居(神仏習合の名残)
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 当社参道には樹齢400年以上の杉の大木が林立する。幹回りは8m前後、高さは44m、48mなど50mに近い大杉である。
 音を立てて境内を流れる美しい急流の川を渡ると、拝殿前の大杉。伊勢神宮の参道で見るような神々しさであった。
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 本殿は享保5年(1720年)に建立、昭和6年(1931年)に改築。三間社流造の鉄板葺き。
 蛙が股を広げて踏ん張ったような形の「カエル股」で梁を支えている。カエル股で特に有名なのは、左甚五郎作の日光東照宮の「眠り猫」や三井寺の「龍」です。
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 本殿の左に稲荷神社(宇氣母智神、うけもちのかみ)と秋葉神社(迦具土神、かぐつちのかみ)。
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©2012 Innami Kanki

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by enki-eden | 2018-07-03 14:20