古代史探訪

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諏訪神社(すわじんじゃ、姫路市)

兵庫県姫路市山田町多田920   神社の北に車を停めるスペースがあります。
祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)



 当社は、6世紀前半築造の前方後円墳(全長40m)の横穴式石室が神座となっており、羨道入口に神殿が鎮座している。拝殿からは石室の入り口が見える。
 この古墳の石室は「諏訪の岩穴(いわあな)」と云われ、県指定重要有形文化財(史跡)になっている。地名をとって多田古墳とも呼ばれる。

 神社の説明によると、古墳の軸はほぼ東西向きで、後円部の南側に石室が開口し、入口前面に拝殿が造られている。石室内に石祠を置き、建御名方神を祀っている。

   石の鳥居と奥に拝殿、鳥居は北東にある。
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 建御名方神は出雲族の大国主命(160年頃出生)と高志国(越後)の沼河比売(ぬなかわひめ)の子で、武神、軍神として崇敬されている。

 建御名方神は、倭王の卑弥呼(天照大神②、179年-247年)が201年頃に強制した「国譲り」に反対して敗れ、信濃国(長野県)の諏訪湖に逃れたと古事記には記されている。
 建御名方神は諏訪の地を開拓して、信濃国一之宮の諏訪大社に祀られた。御名方(みなかた)の名は父・大国主命の本拠地・宗像(むなかた)が由来かもしれない。

 大国主命と神屋楯比売の子である事代主神は国譲りに賛成したので、現在でも宮中三殿の八神殿に高皇産霊神などと共に祀られている。

 出雲国風土記には、大穴持命(大国主命)と奴奈宜波比売命(ぬながわひめのみこと)の子に御穂須須美命(みほすすみのみこと)が記されており、建御名方神と同じと云われる。
 建御名方神は母・沼河比売の里(糸魚川市)からヒスイで有名な姫川を遡り、諏訪湖に落ち着いたのではないか。
 妃は八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、安曇氏と云われる。安曇氏が開拓した安曇野(あづみの)は諏訪湖の北30kmほどにある。
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by enki-eden | 2018-11-29 09:23

甲八幡神社(かぶとはちまんじんじゃ、姫路市)

兵庫県姫路市豊富町豊富1375   電079-264-4747   無料駐車場あります。
祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
配祀 息長足比女尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
   比咩大神(ひめおおかみ)



 15代応神天皇(363年-403年)が播磨国を巡幸の時、甲山(かぶとやま、107m)に登り、四方を視察した。播磨国風土記には甲山は冑山と記されている。
 応神天皇は灌漑用水路や道路を造らせて農業振興を図った。里人たちはその徳に感謝し、秋の収穫時には甲山に登り、初穂を供え都の方(東)に向かって遙拝した。
 応神天皇や神功皇后(321年-389年)が播磨国を巡幸した記録は各地に多い。

 859年(貞観元年)、甲山に社殿を造営し八幡神社とした。
 当社のすぐ西を流れる市川沿いにある神崎郡福崎町、姫路市船津町、姫路市砥堀(とほり)の地域には、平安時代末期に蔭山荘という荘園があり、当社はこの蔭山荘の総氏宮であったと云う。
 蔭山荘に因んで豊富町御蔭(みかげ)の地名ができたと考えられる。また、当地は踏鞴製鉄が盛んな地域であった。

 当社の3.2km南の豊富町御蔭に兼務社の新次神社(にすきじんじゃ)が鎮座、祭神は阿遅須伎高比古尼命(味耜高彦根神)。大和葛城から役行者(えんのぎょうじゃ、634年-706年頃)が来て祀ったと云う。近くに行者堂がある。

 甲八幡神社は歴代の姫路城主からも崇敬され、社領を寄進されたが、社殿は明治27年(1894年)に焼失し、明治34年(1901年)に再建された。
 入口の赤い大鳥居は平成2年(1990年)に再建された。

  入口の大きな赤鳥居、甲山の上にあるので遠方からもよく目立つ。
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   赤い大鳥居の左奥に牛の像と天満宮。
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   階段を登ると、社号標と拝殿。
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   幣殿と本殿
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   八幡神社では「神使いの鳩」が向かい合って「八の字」を象っている。
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   拝殿右手前の境内社(市杵島神社かな?)
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   拝殿右に手前から、藤原社、荒神社(竈神)、豊富命社、皇太神宮。
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   本殿裏に稲荷神社
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by enki-eden | 2018-11-24 20:43

生田神社(いくたじんじゃ、神戸市中央区)

 兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1   電078-321-3851  駐車場は有料。
 祭神 稚日女尊(わかひるめのみこと)
 創建者 神功皇后(321年-389年)
 初詣は150万人ほどの参詣者で賑わう。

 生田神社会館で株式セミナーがありましたので、久しぶりに生田神社に参拝しました。
 弁財天のご朱印をいただきました
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 拝殿と本殿
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 本殿の西にある「生田の池」に市杵島神社(生田弁財天)、祭神は市杵島姫命。
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 2013年4月17日投稿の「生田神社」をご覧ください。  
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by enki-eden | 2018-11-20 17:28

高羽丹生神社(たかはにぶじんじゃ、神戸市灘区)

 兵庫県神戸市灘区高羽町(たかはちょう)4-2-2  電078-851-2309
 車を境内に停められるが、通路は狭い。

 祭神 罔象売神(みつはのめのみこと、天照大神の姉妹)、
 明治42年5月5日に八幡大神と須佐男命を合祀。
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 通称・水神さん、「丹生川上神社」が本社。(奈良県吉野郡東吉野村小968)
   
 日本書紀によると、「伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火の神の軻遇突智(かぐつち)を生んだ時に火傷をして亡くなった。その亡くなろうとするときに、土の神・埴山姫(はにやまひめ)と水の神・罔象女(みつはのめ)を生んだ」とある。

 神戸市の当地は古代には「覚美の郷(かがみのごう)」と云われ、鏡作部(かがみつくりべ)の人たちが住み、水神さんを祀った。
 昔は1.5km北にある六甲山中腹の「滝の奥」(標高約240m)に祀られていた。
   赤のアイコンが丹生神社、黄が「滝の奥」


 この山の尾根の東斜面にある桜ケ丘町の通称・神岡(かみか)より14個の銅鐸と7本の銅戈が出土し、国宝として神戸市立博物館に保存展示されている。 2013年7月31日投稿の「摂津の国の考古学」をご参照ください。

   鳥居と拝殿
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 拝殿右手前には樹齢500年余りの「高羽丹生の楠」があり、神戸市の「市民の木」に指定されている。一願成就のご神木となっている。
 拝殿左横には境内社の磐春稲荷神社と天照皇大神宮が鎮座している。
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by enki-eden | 2018-11-13 11:12

権現宮證誠神社(しょうせいじんじゃ、神戸市)

 兵庫県神戸市須磨区権現町1-3-2  電078-731-2743   境内に車を停められます。
 祭神 五十猛尊
 通称「権現さん」、987年に紀伊熊野の大神を勧請。
 勝福寺(須磨区大手町、高野山真言宗)の地主神として祀られた。

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 紀伊熊野には熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)が鎮座し、神仏習合の影響を強く受けている。
 更に本地垂迹(ほんぢすいじゃく)説により、仏や菩薩が本来の姿で、仮に神の姿をとって現れた神を権現(ごんげん)と云うようになった。
 しかし、明治元年(1868年)の神仏分離令により、熊野信仰は以前に比べると衰え、熊野を詣でる人は減少した。

 熊野本宮大社の縁起によると、「天火明命は熊野国造家の祖神で、天火明命の孫である熊野高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、布都御魂(ふつのみたま)の天剣を献じた。
 10代崇神天皇の御代、櫟(いちい)の巨木に三体の月が降臨した。熊野連が尋ねてみると、我は證誠大権現(家都美御子大神、けつみみこのおおかみ=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神と速玉之男大神)である。社殿を創って斎祀れと言われた。
 この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建された。」とある。

 素戔嗚尊の本地垂迹による名が證誠大権現(家都美御子大神)で、当社の社名は権現宮證誠神社であるので、祭神は素戔嗚尊かと思えば、素戔嗚尊の第2子「五十猛尊」になっている。
 尤も、家都美御子大神は諸説あって、素戔嗚、伊弉冉、五十猛などと云われている。
   
 当社は江戸時代には聖霊大権現(しょうりょうだいごんげん)と称していたが、神仏分離令後に祭神を五十猛尊とし、社名も證誠神社と改め、須磨一円の守護神となった。
 紀国造家(紀直氏)は神皇産霊尊の後裔氏族の代表で、「神産霊神三世孫で紀氏の大矢女命が、スサノオと結ばれ、五十猛命を生む」とある。五十猛命は筑紫紀氏と考えられる。

 熊野高倉下は父が天香語山(天火明命の子)で、母が大屋津姫(素戔嗚尊の娘)だから、素戔嗚系(物部氏)でもあり、火明系(海部氏・尾張氏)でもある。
 熊野高倉下の子孫の熊野直・熊野連・熊野国造は物部氏の後裔とされている。

   赤い鳥居
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   拝殿
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 境内社は拝殿右に末廣稲荷神社、拝殿左に大国主命、素戔嗚命と事代主命、大己貴命と蛭子命(えびすのみこと)が鎮座している。
               *****
 イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビー(1889年-1975年)の言葉、
 「12才~13才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅んでいる。
  文明が挫折する根本原因は内部の不和と分裂である。」
  2016年7月9日投稿の「戦後日本の反日思想」をご参照ください。
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by enki-eden | 2018-11-06 10:07