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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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 鳥取市の松原田中(まつばらたなか)遺跡(鳥取市松原字中田中)は、弥生時代から古墳時代の集落遺跡で、高床倉庫の基礎を補強するための「地中梁(ちちゅうばり)」が、平行して2本発掘されていた。
 3世紀後半頃に使われた地中梁で、鳥取県埋蔵文化財センターによると、2本が腐食や欠損のないほぼ完全な形で出土するのは異例で、今回出土した全長7.33mと7.22mの2本の地中梁(杉材)は国内最長級の梁である。


  パンフレット
 「地中梁」は地中に埋めた長い木材で、軟弱な地盤でも建物が傾かないように地中梁を平行に2本並べ、その上に建物の柱を立てることで安定させていた。
 それぞれに4本の柱を組み合わせた痕が残っており、柱の位置や建物の構造を特定することができた。2本の梁は地中50cmから80cmほどの深さに、幅3mほどの間隔をあけて並行に敷設されていた。

 松原田中遺跡では2013年、国道9号線の改築に伴う発掘調査で15棟の高床倉庫の建物跡が確認され、そのうち8棟から地中梁が出土していた。

 その他、石川県金沢市大友西遺跡からも3世紀前半頃の地中梁が1本(8mほど)出土していた。金沢市近岡遺跡からは2本揃って出土、新潟県佐渡市蔵王遺跡からも2本揃って出土していた。
by enki-eden | 2018-12-29 14:36
 物部の祖・饒速日(にぎはやひ、165年頃出生)から7代目の「伊香色雄命」(いかがしこお、255年頃出生)は9代開化天皇(244年-294年)と10代崇神天皇(251年-301年)に仕えた。
 伊香色雄は「石上神宮」を建て、氏神として祖神・素戔嗚の父の布都を祀った。
 
 物部大咩布命(290年-364年)は伊香色雄命の末の息子で、11代垂仁天皇(265年-310年)に仕え、若湯坐連(わかゆえのむらじ)などの祖とされている。

 兵庫県宝塚市売布(めふ)山手町に鎮座する売布神社(めふじんじゃ)は、近世まで貴船神社と称していたが、延喜式神名帳の摂津国河辺郡に記載の「売布神社」と判明したので、18世紀に社名を変更した。
 社伝によると、605年の創建で、里人が下照姫神(高比売神)と天稚彦神を祀ったと云う。
当地周辺は物部若湯坐連(もののべのわかゆえのむらじ)が拠点としており、物部意富売布連(もののべのおおめふのむらじ)が若湯坐連らの始祖になっているので、当社の本来の祭神は意富売布命(大咩布命)ではないか。

 兵庫県三田市酒井宮ノ脇に鎮座の高売布神社(たかめふじんじゃ)の祭神は、下照比売命と天稚比古命になっている。
 物部大咩布命を祭神とする説もある。
 赤のアイコンが宝塚市の売布神社、黄が三田市の高売布神社



 物部大咩布命の系図は、
 饒速日→宇摩志麻治→彦湯支→出石心→大矢口宿祢→大綜麻杵→伊香色雄→大咩布
 となっている。
 新撰姓氏録の「山城国 神別 天神 真髪部 造 神饒速日命7世孫大賣布乃命之後也」とあり、「和泉国 神別 天神 志貴 県主 饒速日命7世孫大賣布命之後也」とある。

 9世紀に編纂された但馬故事記(但馬国司文書)によると、
 『物部大売布命は日本武尊(やまとたけるのみこと)に従い、東夷(あづまえびす)を征伐したことを賞し、摂津の川奈辺(川辺郡)、多遅麻の気多(けた)郡、黄沼前(きぬさき、城崎郡)の三県を与えられた。
 大売布命は多遅麻の気多郡に入り、気多の射楯(いだて)宮に在した。多遅麻物部氏の祖である。』
と記されている。

 射楯宮は但馬国気多郡高田郷石立(射楯)村にあったが、現在の地名は兵庫県豊岡市日高町国分寺797となっており、売布神社が鎮座、祭神は「気多の大県主」と呼ばれた物部連大売布命である。大売布命は神功皇后2年(西暦364年)に当地で亡くなり、射楯宮の後方にある射楯丘に埋葬された。


  
 日本武尊の東国征伐は妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が同行したので、船団を運用したのは弟橘媛の属する穂積氏だったと考えられる。穂積氏は物部一族であるので、その船団を大売布命が指揮したのでしょう。「日本武尊の白鳥三陵」をご参照ください。
Innami Kanki   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp   
by enki-eden | 2018-12-25 11:38

但馬国(たじまのくに)

 但馬地方は兵庫県の北部の地域で、北は日本海、南は播磨地方と丹波地方、東は京都府、西は鳥取県と接している。
 但馬は全体に山が多いが、兵庫県の面積(8,396㎢)の25%(2,134㎢)を占め、東京都の面積(2,188㎢)に近い。
 山口県から兵庫県まで続く東西500㎞の中国山地は標高1,000m前後で、磁鉄鉱系の花崗岩が多く砂鉄が豊富で、川も多いので、古代から吉備国を中心として踏鞴製鉄が盛んに行われた。
 但馬では高い山もあり、氷ノ山(ひょうのせん、1,510m)が一番高い。但馬の冬は雪が降って寒く、スキー場が賑わう。夏は逆にフェーン現象で暑い。

 但馬地方は但馬北部(北但)の豊岡市と美方郡(みかたぐん)、但馬南部(南但)の養父市(やぶし)と朝来市(あさごし、一部は播磨地方)からなっている。
 豊岡市に但馬飛行場(コウノトリ但馬空港)があるが、播磨から行くにはJR播但線か播但連絡道路が便利。私はよく播但連絡道路を利用します。途中、道の駅「ようか但馬蔵」で休憩します。
 
 但馬国総社は氣多神社(けたじんじゃ、大己貴命、豊岡市日高町上郷)、一宮は「出石神社」(いずしじんじゃ、天日槍命、豊岡市出石町宮内)、二宮は「粟鹿神社」(あわがじんじゃ、日子坐王、朝来市山東町粟鹿)であるが、粟鹿神社も但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している。
  
 但馬国風土記は残っていないが、9世紀から10世紀にかけて編纂された「但馬故事記(但馬国司文書)」は残っているので、但馬の旧事を知ることができる。

 先代旧事本紀の国造本紀によると、但遅馬国造(たじまのくにのみやつこ)は13代成務天皇の時代(4世紀前半)に、竹野君と同祖の彦坐王(ひこいますのきみ、9代開化天皇の皇子)の五世孫の船穂足尼(ふなほのすくね)を国造に定めたとある。
 朝来市桑市の船宮古墳(ふなのみやこふん)が船穂足尼の墳墓と伝わるが、5世紀後半築造で少し年代が合わない。前方部に船宮神社が鎮座している。
 船宮古墳は但馬地方で2番目に大きな前方後円墳で、総長117m、墳丘長91m、後円部径49m、高さ6mの三段築成。   
 但馬地方最大の前方後円墳は墳丘長136mの「池田古墳」(朝来市和田山町平野)で、5世紀初め頃の築造。原型を留めていないが、兵庫県では4番目の大きさ。こちらが船穂足尼の墳墓かもしれない。
 但遅馬国造は但馬国東部(現在の豊岡市、養父市、朝来市)を治めた。

 同じく先代旧事本紀の国造本紀によると、成務天皇の時代に、二方国造(ふたかたのくにのみやつこ)を定め、出雲国造と同祖の遷狛一奴命(うつしこまひとぬのみこと)の孫の美尼布命(みねふのみこと)に任じた。二方国造は但馬国西部(現在の美方郡)を治めた。
 兵庫県美方郡新温泉町竹田1に鎮座の面沼(めぬま)神社は二方地方の総社で、二方国造の美尼布命を主祭神としている。

 但馬の地名由来は、確かなものはないが、私見では「田島」だと考えている。つまり、九州の「田島(たしま)」からの移住者が多かったのではないか。「たしま」→「たじま」に変化した。
 福岡県宗像市田島(たしま)2331に鎮座の宗像大社は宗像氏の本拠地。佐賀県唐津市呼子加部島に鎮座の田島神社(たしまじんじゃ、宗像三女神)は宗像大社から勧請した。
 宗像氏の祖神は大国主命(大穴持命、160年頃出生)で、大穴持命が但馬巡視をして田島と名付け、その後多遅摩→但馬に変化したか。

 但馬開発の祖神は天日槍命(あめのひぼこのみこと)となっている。天日槍命は新羅の王子と云われており、私見ですが、230年頃の出生。
 天日槍命は多遅摩俣尾(たじまのまたお)の娘・前津見(さきつみ)を妻とする。或いは、太耳の娘の麻多烏(またお)を妻とするとも云う。
 天日槍命の7代目に息長帯比売命(神功皇后、321年-389年)がいる。私は、天日槍命は新羅人ではなく、任那(みまな、562年滅亡)の倭人であると見ています。

 大分県日田市田島(たしま)の東隣りは日高町で、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)で有名なダンワラ古墳があった。2017年3月30日投稿の「比多国造」をご参照ください。
      
 日田市の田島にも兵庫県の但馬にも日下部氏の本拠地がある。船穂足尼の子孫に但馬国造の日下部君がおり、その後裔が日下部氏となっている。日下部氏は全国に広がっている。
Innami Kanki    メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp
by enki-eden | 2018-12-19 11:03
 淡路島の南端沖に兵庫県南あわじ市沼島がある。私は沼島に渡ったことはないが、淡路島を車で一周した時に海岸沿いの道路から良く見えた。
 周囲9.5kmの島で、500人弱が住んでいるが、都市部への人口流出で大きく減少した。



 日本書紀によると、『伊弉諾尊と伊弉冉尊が「天の浮橋」に立って、天瓊矛(あめのぬぼこ)で青海原をかき回して引き上げると、矛の先からしたたり落ちる潮がかたまって島となった。それを名付けて「おのころ島」と云った。
 二柱の神は「おのころ島」に降りて大きな御殿を造り、「天に届く柱」を立てた。』とある。

 沼島が「おのころ島」だと云われているので、沼島の東海岸にそそり立つ30mの上立神岩(かみたてがみいわ)が「天に届く柱」なのかもしれない。天の御柱(あめのみはしら)とも云う。
 沼島のパンフレット

 淡路島の北端の岩屋漁港に小さな「絵島」があるが、私は子どもの頃から絵島が「おのころ島」だと思っていた。ちょっと小さすぎるかな?

 沼島(おのころ島)には神社も数社あり、西海岸の山の上に自凝神社(おのころじんじゃ)が鎮座している。祭神は勿論、伊弉諾尊と伊弉冉尊になっている。

 淡路島内の南あわじ市榎列(えなみ)下幡多(しもはだ)には自凝島神社(おのころじまじんじゃ)が鎮座、祭神は同じく伊弉諾尊と伊弉冉尊になっている。
 立派な赤い大鳥居が目立つ。

 大和朝廷にとって瀬戸内海を西へ遠征・進出するには、拠点として淡路島は重要な立地にあった。淡路島の海人族は優秀な水軍をもっており、造船も得意で、大規模の金属工房もあった。
 明石海峡を抑える部族もあり、阿波国(徳島県)・淡路島・和泉国(大阪府南西部)を交流して活躍する部族などもあり、朝廷にとっては淡路海人族を味方に取り込む必要があった。

 淡路島は古代から大和政権と強く結びついており、海産品などを献ずる御食国であった。先代旧事本紀の国造本紀によれば、16代仁徳天皇(386年-429年)の御代に、神皇産霊尊の九世孫の矢口足尼(やぐちのすくね)を淡道国造に定めたとある。
 仁徳天皇は頻繁に淡路島へ行っている。淡路島には良い狩場があり、伊弉諾命が国生みで最初に造ったのがおのころ島(沼島)と淡島(淡路島)であり、伊弉諾命(西暦125年頃出生)が淡路島の幽宮(かくりのみや、伊弉諾神宮)で余生を送った地であることが仁徳天皇を引き付けたのでしょう。

 堺市の仁徳天皇陵(墳丘長486m)を宮内庁と堺市が共同調査した。周濠の堤(つつみ)に石敷きがあり、その上に円筒埴輪がびっしりと1列に並んでいたことが分かった。
 埴輪は5世紀前半から半ばの特徴を持っているので、429年に崩御した仁徳天皇の陵墓に間違いないと私は思います。多くの人は仁徳天皇が4世紀末頃に崩御したので、埴輪の年代と数十年ほど合わないと云っているが、崩御年の推定を間違えているのが原因だと思います。
 今回の調査は天皇陛下の承諾が得られたので実現したが、今後も宮内庁管理の陵墓の調査を進めてほしいと思います。2019年5月1日に次期天皇に即位される皇太子殿下にも陵墓の調査にご理解を深めていただきたいですね。
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by enki-eden | 2018-12-13 09:32
 兵庫県加西市(かさいし)西剣坂町(にしけんざかちょう)818  電0790-46-0215
 神社の前に車を停められます。 加西市の西端で、姫路市との境の山麓に鎮座。

 祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
 配祀 伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚命。



 私見ですが、祭神の国常立尊は西暦元年生まれの初代奴国王で、西暦57年に後漢に朝貢した「漢委奴国王」だと見ています。
 奴国は博多湾周辺の国で、国常立尊の時に倭国(北部九州)の海外交易を代表する国になった。
 国常立尊の生年は西暦元年と云いましたが、西暦元年は西暦1年で、その前年は紀元前1年です。その間の「紀元0年」と云うのは存在しません。
 従って、紀元前から紀元後に亘る期間の年数を計算するには1年を引く必要があって、ややこしい。
 日本の元号も同じで、平成元年(1989年)は平成1年であって、平成0年ではありません。人の年令も現在では生まれた時は0才ですが、昔は1才でした。
 天文学では「紀元0年」を仮に設けて計算しやすくしているようです。

 少彦名神(すくなひこなのかみ)が当地を治めていた時、剣が出土したので、この剣を「十束の剣」と名付けて祀ったのが当社の初めと云う。播磨鑑(はりまかがみ)には「剣の宮」と記されている。
 貞永元年(1232年)に刀鍛冶が参拝して詠んだ歌、
   いく代々の ためしともなれ 神代より たえず祀れる みつるぎの宮

 天正の頃(16世紀後半)、社殿が兵火により焼失したので再建した。「天下賦武」の信長軍は多くの寺社を破壊した。宗教中心の社会を変える「宗教改革」の役割も果たしたことになるが、犠牲が大きかった。

   石の鳥居と参道の灯篭
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   絵馬殿
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   拝殿
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   本殿の前に小さな狛犬と少し右に石の祠
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   本殿の左にも小さな狛犬と石の祠
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  鳥居の左奥に大歳神社、兵庫県には大歳神社が400社近くもある。
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by enki-eden | 2018-12-05 09:54